風立ちぬは堀辰雄の小説とどこまで同じ?菜穂子の名前は別の小説から

映画『風立ちぬ』は、堀辰雄の小説をそのまま映画にした作品ではありません。題名、草原で絵を描く場面、療養所の日々は小説『風立ちぬ』から。ヒロインの「菜穂子」という名前は、堀辰雄の別の小説『菜穂子』から来ています。

そこに、零戦を設計した実在の技術者・堀越二郎の半生を重ねたのが映画です。宮崎駿(宮﨑駿)監督は、2人を「ごちゃまぜ」にして一人の主人公を作ったと説明しています。

この記事では、小説『風立ちぬ』と『菜穂子』がどんな話か、映画がそこから何を借りたのか、どこを変えたのかを整理します。小説を知ると、映画の結末の見え方も少し変わります。

映画『風立ちぬ』は堀辰雄の小説が原作なのか

厳密には違います。映画の原作は、宮崎監督自身が模型雑誌『モデルグラフィックス』に連載した漫画『風立ちぬ』です。その題材になったのが、堀越二郎の半生と、堀辰雄の小説でした。

映画のポスターには、2人の名前が並んでいます。

堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて

宮崎監督は作品の狙いを、次のように説明しています。

この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公”二郎”に仕立てている。

つまり「堀辰雄の小説の映画化」でも「堀越二郎の伝記」でもありません。2人の人生を混ぜて作った、架空の青年の物語です。

小説『風立ちぬ』はどんな話なのか

婚約者が結核で死に近づいていくなか、療養所で過ごした日々を描いた中編小説です。1936年から1938年にかけて雑誌に発表され、「序曲」「春」「風立ちぬ」「冬」「死のかげの谷」の5章でできています。

話の筋は単純です。夏の高原で出会った「私」と節子は、2年後に婚約します。節子の結核が重くなり、行き先は八ヶ岳のふもと、F高原のサナトリウム(結核の療養所)。「私」は付き添いとして同じ建物で暮らし、残された時間を節子と過ごします。

最後の章「死のかげの谷」では、季節が1年進んでいます。「私」は2人が出会った村に一人で戻り、雪の山小屋で節子を思い出します。節子が亡くなったことは、この章の書き方から読み取れる仕組みです。

これは堀辰雄自身の体験がもとです。堀辰雄は1904年に生まれ、1953年に48歳で亡くなった小説家。自身も肺結核を患い、1931年には、のちに『風立ちぬ』の舞台になる富士見高原療養所に入っています。節子のモデルは、1934年に堀と婚約し、翌1935年12月に亡くなった矢野綾子。小説は、死が近いからこそ今の時間を強く生きようとする2人を、外の世界の騒がしさから切り離して描いています。

映画は小説のどこを使っているのか

いちばん分かりやすいのは、題名と冒頭の言葉です。小説の「序曲」で、描きかけの絵を台(画架)に立てかけたまま2人で白樺の木陰に寝そべっていると、不意に風が立ちます。そのとき「私」の口からこぼれたのが、詩の一節でした。

風立ちぬ、いざ生きめやも。

フランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩を、堀辰雄が訳した言葉です。映画の題名はこの小説から取られ、映画の冒頭にもヴァレリーの詩が出てきます。

ほかにも、映画には小説から借りた場面や設定がいくつもあります。

小説『風立ちぬ』映画『風立ちぬ』
草原で絵を描く節子と、白樺の木陰で横になる「私」草原で絵を描く菜穂子。劇場用の第一弾ポスターにもなった場面
2人が出会うのはK村(軽井沢)二郎と菜穂子が再会するのは軽井沢のホテル
節子はF高原(富士見高原)のサナトリウムに入る菜穂子は富士見高原の療養所に入る
婚約者は結核で亡くなる菜穂子も結核を患い、二郎のもとを去る

草原の場面は、小説の書き出しとほぼ同じ絵です。小説では「お前が立ったまま熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていた」とあります。映画を観た人なら、すぐに場面が浮かぶはずです。

一方で、映画の二郎は小説の「私」と違い、療養所に付き添いません。名古屋で飛行機の設計を続けながら、菜穂子と暮らします。この違いは、あとで触れる結末の見え方につながります。

菜穂子の名前はどこから来たのか

ヒロインの名前は、小説『風立ちぬ』の「節子」ではなく、堀辰雄が1941年に出した長編小説『菜穂子』から取られています。映画の里見菜穂子は、本作で作られた架空の人物です。人物のモデルの中心は、節子と同じく矢野綾子とされています。

小説『菜穂子』も、結核とサナトリウムの物語です。主人公の菜穂子は、愛のない結婚をしたあと血を吐き(喀血し)、八ヶ岳のふもとの療養所に入ります。

この小説には、映画とよく似た場面があります。雪の激しく降る日、菜穂子は衝動的に療養所を抜け出し、列車で東京の夫に会いに行くのです。映画の菜穂子も、療養所を抜け出して二郎のもとへ向かいました。

ただ、そのあとが正反対です。

小説『菜穂子』映画『風立ちぬ』
療養所を抜け出した先夫の黒川圭介二郎
相手の受け止め方なぜ来たのかを深く聞かず、事務的に家に帰っていく迎え入れ、黒川の仲人で結婚する

小説の夫の名字は「黒川」です。映画では、同じ名字の黒川が二郎の上司として登場し、2人の結婚の仲人を務めます。小説では妻を受け止めきれなかった「黒川」が、映画では2人を結びつける側に回っています。この名字の一致について、作り手は説明していません。ただ、小説を読んでから映画を観ると目に留まる重なりです。

二郎は堀越二郎なのか、堀辰雄なのか

両方です。名前と仕事は堀越二郎、恋と病気と療養所の物語は堀辰雄。さらに、宮崎監督の父や、監督自身の姿も重ねられているとされています。

宮崎監督は、2人に共通するものを次のように語っています。

堀越と堀辰雄の2人はインテリで、とんでもないところに(日本が戦争に)行くということを予感している。

一人は飛行機を作り、一人は小説を書きました。僕は、監督が2人を「戦争に向かう時代に、自分の仕事を続けた人」として重ねたのだと読んでいます。

ただし、映画の二郎は堀越二郎の伝記とも違います。菜穂子は架空の人物で、2人の恋は堀辰雄の小説から持ち込まれた部分です。「実話なのか」と聞かれれば、飛行機の仕事は実話をもとに、恋の物語は小説をもとに作られた、と答えるのが正確です。

小説を知ると映画の結末はどう見えるか

小説『風立ちぬ』の「私」は、療養所に付き添い、婚約者のそばで最後の日々を過ごしました。何よりも2人だけの時間を選んだ話です。

映画の二郎は、その道を選びません。菜穂子をそばに置きながら、夜遅くまで設計を続けます。設計が一段落したところで、菜穂子は置き手紙を残して療養所へ戻っていきます。

僕は、映画が小説の「私」と同じ道を二郎に歩かせなかったところに、宮崎監督の答えがあると考えています。愛する人のそばにいることと、作り続けることを、二郎はどちらも手放さなかった。その代わり、映画は菜穂子の最期のそばにいる二郎を描いていません。小説の静かな美しさを借りながら、映画はそこに仕事をする人の身勝手さとひたむきさを重ねています。

菜穂子が山へ帰った理由や、最後の「生きて」の意味は、風立ちぬは何が言いたい?意味不明に感じる理由を企画書から読むで詳しく解説しています。

まとめ

  • 映画『風立ちぬ』の原作は宮崎駿の漫画。堀越二郎の半生と堀辰雄の小説を「ごちゃまぜ」にして作った物語
  • 題名、草原で絵を描く場面、軽井沢と富士見高原の療養所は、小説『風立ちぬ』から来ている
  • ヒロインの名前は、別の小説『菜穂子』から。療養所を抜け出す場面も重なるが、迎える相手の態度は正反対
  • 二郎は、仕事が堀越二郎、恋と病の物語が堀辰雄。どちらでもある架空の人物

零戦を作った人を描いたことへの賛否は風立ちぬの評価はなぜ分かれる?零戦を作った人を裁かずに描いた理由で、主人公の声を庵野秀明が担当した理由は風立ちぬの声はなぜ庵野秀明?宮崎駿が語った起用の理由で整理しています。ジブリ作品の世界に触れられる三鷹の森ジブリ美術館のチケットの発売日は、ジブリパークとジブリ美術館のチケット発売日の違い|何時に何月分?にまとめました。

参考

  • 風立ちぬ 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/kazetachinu/
  • 堀辰雄『風立ちぬ』(青空文庫) — https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/4803_14204.html
  • 風立ちぬ(2013年の映画) — Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/風立ちぬ_(2013年の映画)

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