トトロは何年の話?昭和30年代説と宮崎駿が書いた「1953年」

『となりのトトロ』は、宮崎駿監督の言葉では1953年(昭和28年)の話です。監督は後に、1953年を想定して作ったと書いています。よく言われる「昭和30年代初め」は、作る途中の設定が広まったものとみられます。

トトロの時代設定は、「昭和30年代」「1955年」「1953年」と、資料によって答えが分かれています。作中に映るカレンダーや電報の日付も、一つの年にそろっていません。どれが本当なのか分からなくなる人が多いのは、そのためです。

この記事では、監督とスタジオジブリの関係者が何年と言っているのかを並べ、昭和30年代説がどこから来たのか、「テレビのない時代」が何を意味するのかを整理します。

トトロは何年の話なのか

宮崎監督の答えは、1953年です。昭和でいえば28年。2011年の『コクリコ坂から』のパンフレットに、監督はこう書きました。

『となりのトトロ』は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である

映画が公開されたのは1988年4月16日です。作った時点から35年前の日本を、監督は思い描いていたことになります。

ただ、関係者の言葉は一つにそろっていません。主な発言を並べると、次のとおりです。

誰がどこで何年としているか
宮崎駿(制作中)イメージボードの書き込み昭和30年代初期
宮崎駿(1988年の公開当時)作品の解説本『ロマンアルバム』のインタビュー「昭和30年代初期」は嘘で、テレビがまだない時代
宮崎駿『コクリコ坂から』のパンフレット(2011年)1953年
鈴木敏夫舞台版の発表へのコメント(2022年)1955年

監督本人の言葉は、後のものほどはっきりしています。最初は「昭和30年代初期」、次に「テレビがまだない時代」、そして2011年のパンフレットの文章では「1953年」と、年を一つに決めて書いています。

なぜ「昭和30年代」と言われるのか

もともと、監督自身がそう書いていたからです。

『となりのトトロ』の制作が始まったころに描かれたイメージボード(作品の雰囲気を決めるための絵)には、「昭和30年代初期」と書き込まれていました。この書き込みが、昭和30年代説の始まりとみられています。

ところが監督は、公開当時のインタビューで、この設定を自分で打ち消しました。

昭和30年代初期っというのは、実は嘘で、本当をいうと、テレビがまだない時代の話

「嘘」とまで言うのですから、監督にとって大事なのは年号より「テレビがあるかないか」だったと読めます。昭和30年は1955年です。監督の言う1953年はテレビ放送が始まった年ですが、テレビを持つ家はまだほとんどありませんでした。監督の言う時代は、昭和30年代より少し前にあたります。

それでも「昭和30年代」の印象は強く残りました。2005年の愛知万博では、草壁家が実物大で建てられています。宮崎監督自身が「トトロの草壁家を再現してみたらおもしろいのでは」と提案したもので、万博の公式サイトでは「昭和30年代の家」と紹介されました。この家は今、ジブリパークの「サツキとメイの家」として残っています。

鈴木敏夫プロデューサーは、2022年に舞台版が発表されたとき「時代は1955年」とコメントしました。続けて「これは僕の少年時代の話です」と話しています。1948年生まれの鈴木プロデューサーが、自分の子どものころと重ねた言い方です。監督の「1953年」とは2年ずれますが、テレビがまだ家に行き渡る前という点では、ほぼ同じころです。

「テレビのない時代」とはどういう意味か

日本でテレビ放送が始まったのは、1953年2月1日です。NHKが東京で本放送を始めたとき、受信の契約をしていた家は866件しかありませんでした。テレビはまだ、ほとんどの家にとって無縁のものでした。

映画の中の草壁家にも、テレビはありません。それどころか電話もなく、病院からの知らせは電報で届きます。サツキは電話を借りるために、近所の家まで走らなければなりませんでした。

夜の楽しみは、お父さんと一緒にお風呂に入ること。昼は姉妹で野原や森を駆け回り、ドングリを拾い、オタマジャクシを追いかけます。子どもの毎日の中心が、家の外の自然にあった時代です。

僕は、監督が「テレビのない時代」にこだわった理由はここにあると考えています。テレビが家に入ると、子どもが夕方に見るものが変わります。トトロやネコバスに出会えるのは、暗くなるまで外で過ごし、森や雨のバス停で何かを待つ子どもたちです。年号より、子どもが何を見て過ごしていたかで時代を決めた。だから監督は、年を聞かれたときに「テレビ」を持ち出したのだと思います。

作中のカレンダーや電報の日付は合っているのか

合っていません。作中に映るカレンダーや電報の消印には、昭和28年から33年までの日付が混ざっています。

最初にお母さんのお見舞いに行く場面の6月のカレンダーは、昭和28年の日付の並びです。ところが、病院から届く電報の消印は昭和32年8月11日。お父さんの書斎のカレンダーは昭和30年、病室の7月と8月のカレンダーは昭和33年の並びで、映るたびに年が変わります。どの日付を基準にするかで、答えが変わってしまいます。

なぜ日付がばらばらなのかは分かっていません。最初に決めた「昭和30年代初期」の設定に合わせて描かれたものが残ったのか、描いた人たちが年までは気にしなかったのか、わざとそろえなかったのか、いくつかの見方があります。

僕は、日付の細かいずれは気にしなくてよいと考えています。監督にとって大事だったのは「テレビのない時代」という線引きでした。日付で年を一つに決めるより、監督の言葉どおり「テレビが家に来る前の話」と受け取るほうが、映画の中身に近いはずです。

時代が分かると、何が見えてくるのか

時代設定を知ると、映画の中で説明されない部分の手がかりになります。

一つは、お母さんの病気です。映画では病名が語られません。ただ1950年代に長い入院が要る胸の病気といえば、結核と考えるのが自然です。くわしくはトトロのお母さんの病気は何?で整理しました。

1953年は、宮崎監督自身が12歳になる年でもあります。監督の母は1947年に脊椎カリエス(結核菌が背骨に入る病気)を患い、9年ほど寝たきりの生活を送りました。監督の母が病に伏していた時期と、映画の時代は重なっています。

もう一つは、都市伝説との関係です。トトロには、1963年に埼玉県狭山市で起きた事件と結びつける説があります。けれど監督の言う1953年とは、10年の開き。説の中身と公式の立場は、トトロの都市伝説は本当?で確かめられます。

1963年は、宮崎監督が後に企画した『コクリコ坂から』の舞台の年でもあります。東京オリンピックの前の年で、日本が大きく変わり始めた時期です。トトロの1953年は、その変化が来る前の、まだ田んぼと森が残る日本だと読めます。

まとめ

  • 宮崎駿監督は2011年の覚書で、トトロは「1953年を想定して作られた。TVのない時代である」と書きました
  • 「昭和30年代初め」は、制作中のイメージボードの書き込みが広まったもので、監督は後に「実は嘘」と打ち消しています
  • 鈴木敏夫プロデューサーは「1955年」と話しており、関係者の言う年は少しずれます
  • 作中のカレンダーや電報の日付は昭和28〜33年が混ざっていて、一つの年にはそろいません
  • 年号より「テレビが家に来る前」という線引きで受け取ると、映画の中身とよく合います

草壁家は、ジブリパークの「サツキとメイの家」で見られます。モデルとされる土地はトトロのモデルの場所はどこ?、パークのチケットはジブリパークのチケット7種類の違いにまとめています。

参考

  • 『コクリコ坂から』パンフレット「企画のための覚書」(宮崎駿・2011年)
  • 『となりのトトロ』の時代設定(ジブリのせかい) — https://ghibli.jpn.org/trivia/totoro-era/
  • 『となりのトトロ』世界初の舞台化!ロンドンで10月に開幕(シネマトゥデイ・2022年4月27日) — https://www.cinematoday.jp/news/N0129908
  • ジブリパーク「サツキとメイの家」に込められた日本の暮らしの歴史(Business Insider Japan・2022年) — https://www.businessinsider.jp/article/261206/
  • 2月1日 NHKが東京地区でテレビ本放送開始(1953年)(講談社ブルーバックス) — https://gendai.media/articles/-/59568

コメント

タイトルとURLをコピーしました