「飛ばねぇ豚はただの豚だ」は、ジーナへの電話での返事です。カーチスに撃ち落とされたと聞いて心配する彼女に、ポルコが言い返した一言。
空の上で敵に向かって言い放ったセリフだと思っていた人は、少なくないはずです。実際は宿の電話口で、幼なじみの女性に向けた言葉でした。
「飛べない豚」と覚えている人も多いはず。ただ、作中のセリフは「飛ばねぇ」。飛べないのではなく、飛ばない。この一字の違いに、セリフの意味がほとんど入っています。
誰にどの場面で言ったのか、何を言っている言葉なのか、似た言い回しの格言まで順に整理します。
このセリフは誰に向けて言ったのか
ホテル・アドリアーノのオーナーで、ポルコの幼なじみであるジーナです。
場面は映画が始まって26分ごろ。ポルコはアメリカ人の飛行機乗りカーチスとの空中戦であっさり撃ち落とされ、その報せがジーナのところへ届きます。無事を知らせる電話をかけてきたポルコに、彼女が言います。
いまに、ローストポークになっちゃうから・・・。私、いやよ、そんなお葬式
返ってきたのが「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」。ジーナは「バカっ!!」と言って電話を切ります。文字にするときは「飛ばねえ」と書かれることもあります。
つまりこれは、決め台詞として敵にぶつけた言葉ではありません。心配してくれる相手に対して、それでも飛ぶのをやめないと告げた返事です。しかも、たった今負けて、飛行艇をぼろぼろにされた直後の男が言っています。
ジーナが怒るのも当然です。彼女は飛行艇乗りの夫を3度亡くしています。危ないことはやめてほしいという願いに、ポルコはまっすぐ答えません。名台詞として切り取られると格好よく響きますが、僕にはこの場面の一言が、心配をかわす照れ隠しに聞こえます。
「飛べない豚」ではないのはなぜか
作中のセリフは「飛ばねぇ豚」。能力の話ではなく、選ぶかどうかの話だからです。
「飛べない豚」だと、飛ぶ力を失った者はただの豚だ、という意味になります。これだと、撃ち落とされて機体を壊したばかりのポルコは、その時点で「ただの豚」です。ジーナへの返事として成り立ちません。
「飛ばねぇ豚」なら意味が変わります。飛ぶ力があるのに飛ぶのをやめた者が、ただの豚。ポルコが拒んでいるのは、飛べるのに飛ばないという選択のほうです。負けた直後でも、また直して飛ぶという前提が入っているわけです。
この違いは、ポルコの立場そのものと重なります。空軍に戻れと誘われても断り、賞金稼ぎとして一人で飛ぶ。飛ぶことをやめる選択肢は、彼にはいつでもあります。ファシスト党の独裁下にあった1929年前後のイタリアで、軍に戻れば飛ぶ機会も立場も手に入りました。
それでも彼は飛ぶほうを選び続けます。だから「飛べない」ではなく「飛ばねぇ」なのです。
このセリフの意味は結局なんなのか
ポルコにとって、飛ぶことと自分であることが同じだという宣言です。
彼はすでに豚の姿をしています。人間の顔を失った理由は作中で説明されません。名前も、マルコ・パゴットという本名ではなくポルコ・ロッソ(赤い豚)を名乗っています。人間としての肩書きを、ほとんど手放した状態です。
残っているのは飛ぶことだけです。だから飛ぶのをやめれば、本当にただの豚になる。自虐のようでいて、自分に残ったものを正確に言い当てた言葉です。
ここには、危ないからやめろという言い分への答えも入っています。命は惜しいが、飛ばずに長生きする自分には用がない。ジーナの心配を否定せず、それでも譲れないものを一行で示しています。
豚のままでいることについて、宮崎駿監督ははっきり語っています。『ジブリの教科書7 紅の豚』(文藝春秋)に載っているのは、豚のままで生きるほうがいいと思う、という言葉。皆さんが期待するようなハッピーエンドは用意されていない、とも述べています。人間に戻って解決する話としては作られていません。
そもそもなぜ豚の姿なのかという疑問は、紅の豚のポルコはなぜ豚になった?呪いではなく自分でかけた魔法で整理しました。
似た言い回しの格言はあるのか
同じ考え方の格言が、実在します。
戦間期のイタリア空軍で掲げられ、今もローマの空軍省宮殿の銘板に刻まれています。
Chi vola vale, chi non vola non vale, chi vale e non vola è un vile.
意味は、飛ぶ者には価値がある、飛ばない者に価値はない、力がありながら飛ばない者は卑怯者だ、というもの。飛ぶことを、腕前ではなく生き方の問題として言い切っている言葉です。「飛ばねぇ豚はただの豚だ」は、この格言と同じ立ち位置にあります。
ポルコは元イタリア空軍の飛行艇乗りで、空軍に戻れという誘いを断った人物です。飛ぶことに誇りを置く言い回しが、彼の口から出るのは自然に見えます。
ただし、この格言が映画の下敷きになったと制作側が説明したわけではありません。銘板のある空軍省宮殿が開いたのは1931年で、作中の1929年前後より後です。ポルコがこの標語を知っていたという描写も作中にありません。
はっきりしているのは、同じ考え方の言葉がイタリア空軍に実在したという事実です。セリフの背景として知っておくと、ポルコの立ち位置が見えやすくなります。
キャッチコピーとはどうつながるのか
劇場用ポスターに使われたのは「カッコイイとは、こういうことさ。」。糸井重里が考えた言葉です(『ジブリの教科書7 紅の豚』文藝春秋)。
このコピーは、映画のどのセリフの引用でもありません。作品を外から見て、何が描かれているかを一行にしたものです。そして「こういうこと」の中身に一番近いのが、ジーナへの電話の返事だと僕は考えています。
強い、勝つ、目立つ。そういう格好よさではありません。誰かに認められるための格好よさでもない。豚の姿で、心配してくれる相手にも甘えず、それでもまた飛ぶと言う。だから強がりが、強がりのまま格好よく聞こえます。
同じ糸井重里のジブリ作品のコピーでは、『もののけ姫』の「生きろ。」が知られています。そちらの成り立ちはもののけ姫「生きろ」の意味は?糸井重里のコピーとアシタカのセリフで扱いました。
まとめ
- 「飛ばねぇ豚はただの豚だ」は、カーチスに撃ち落とされたあと、心配するジーナからの電話にポルコが返した言葉です
- ジーナの「いまに、ローストポークになっちゃうから」に対する返事で、彼女は「バカっ!!」と言って電話を切ります
- 「飛べない豚」ではなく「飛ばねぇ豚」。能力の話ではなく、飛ぶのをやめる選択を拒む言葉です
- 戦間期のイタリア空軍の格言「飛ぶ者には価値がある、飛ばない者に価値はない」と同じ立ち位置にあります
- 宮崎駿監督は、豚のままで生きるほうがいいと思う、期待されるハッピーエンドは用意されていない、と語っています
『紅の豚』に出てくる空賊団の名前は、三鷹の森ジブリ美術館のショップ名「マンマユート」にも使われています。イタリア語で「ママ、助けて」を意味する言葉です。その美術館のチケットが取れないときの手はジブリ美術館のチケットが取れない時の対策|空きが出る日はいつ?にまとめました。
参考
- 紅の豚 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/porco/
- 紅の豚 — Wikipedia(キャッチコピーの考案者、登場人物の設定、時代背景) — https://ja.wikipedia.org/wiki/紅の豚
- ローマの空軍省宮殿の銘板に残る標語(storiastoriepn.it) — https://www.storiastoriepn.it/breve-storia-dellindustria-aeronautica-italiana-dalle-origini-al-fascismo/
- ポルコ「飛ばねえ豚は、ただの豚だ」 — 映画スクエア(セリフの前後のやり取りと場面) — https://eiga-square.jp/title/kurenai_no_buta/quotes/6
- 『ジブリの教科書7 紅の豚』(文藝春秋・2014年。宮崎駿の発言とキャッチコピーの出典)

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