キキが飛べなくなった理由を、映画は一度も説明しません。理由を描かなかったのは宮崎駿監督の判断で、「理屈をつけたからといって、問題が明瞭になるかといったら、決してならないでしょう」と語っています。
代わりに監督がはっきり決めていたのが、この映画の魔法が何を指すかでした。映画のパンフレットには、魔法とは等身大の少女の誰もが持っている何らかの才能を意味する限定された力だ、と書かれています。飛ぶ力は魔女だけの不思議な術ではなく、仕事や得意なことに置き換えられるものとして描かれているわけです。
この記事ではまず、飛べなくなるまでに作中で何が起きていたのかを整理します。そのうえで、監督と原作者が魔法をどう考えていたのか、最後にまた飛べた場面が何を意味するのかを見ます。
飛べなくなるまでに何が起きたのか
失敗が一度あって落ち込んだ、という単純な流れではありません。きっかけになりそうな出来事がいくつも重なっています。
順に並べると、こうなります。
| 順番 | 出来事 |
|---|---|
| 1 | 初仕事で突風にあおられ、預かった黒猫のぬいぐるみを森に落とす |
| 2 | トンボに誘われたパーティーへ行けないまま、配達の仕事に追われる |
| 3 | 老婦人の家でニシンのパイを手伝い、大雨の中を孫娘へ届ける |
| 4 | 孫娘に「あたし、このパイ、きらいなのよね」と言われ、濡れたまま帰って熱を出す |
| 5 | 熱が下がったあと、ジジの言葉が分からなくなっていることに気づく |
| 6 | 斜面で飛ぶ練習をして落ち、母から譲られた大事なほうきを折る |
注目したいのが、5と6の順番です。ジジの声が届かなくなるのが先で、ほうきが折れるのは、もう飛べなくなったあとの練習中に起きています。ほうきを壊したから飛べなくなったのではありません。
もうひとつ、3と4のパイの一件は、キキが失敗したわけではないところが引っかかります。薪のオーブンを使う案を出し、手伝って、大雨の中を届けています。やることは全部やったのに、受け取る側に喜ばれなかった。努力と結果が結びつかない経験は、13歳のキキには初めての種類だったはずです。
映画は飛べなくなった理由を説明しているのか
説明していません。キキが自分で理由を口にする場面もなければ、誰かが解き明かす場面もありません。観ている側は、原因が分からないまま元気をなくしていくキキを、そのまま見ることになります。
これは書き落としではなく、意図した空白です。宮崎監督自身も、アニメの仕事で絵が描けなくなることがあり、どうしてそうなるのか理屈は分からない、と語っています。
理由が分かれば対処できる、という話ではないのでしょう。だから映画は原因ではなく、そのあとどうするかに時間を使います。ウルスラの小屋へ行き、おソノさんの店を手伝い、トンボの事故をテレビで見ます。キキが動いている場面ばかりで、悩みを分析する場面はありません。
この映画の魔法は何を指しているのか
監督が企画の段階で決めていたのが、魔法の位置づけです。映画のパンフレットと企画書には、同じ趣旨の言葉が載っています。
この映画での魔法とは、等身大の少女達の誰もが持っている、何らかの才能を意味する限定された力なのです
魔法を魔法もののお約束から切り離し、キキが持っているある種の才能として限定した、という説明です。アニメージュの1988年2月号のインタビューでも、キキを描くうえでいちばん大事なのは極めて等身大の女の子を描くことだ、と語っています。
この定義を先に置くと、飛べなくなる展開の意味が変わります。魔女が呪いをかけられた話ではなく、才能でやってきた人がその才能を失いかける話になります。絵が描けない、声が出ない、球が投げられない。同じ形の出来事は、魔法のない世界にもあります。
才能については、こういう言い方もしています。無意識のうちに平気で使える時期から、意識してその力を自分のものにする過程が要る、と(『出発点1979〜1996』)。キキの飛ぶ力は母から受け継いだもので、考えなくても使えていました。その時期が終わりかけている、と読むのが自然です。
「恋」や「体の変化」のせいだという説はどこまで当たるか
飛べなくなる直前にトンボへの気持ちが描かれるので、恋が原因だという読み方があります。思春期の体の変化に結びつける読み方も見かけます。
どちらも、公式の説明はありません。恋や体の変化が原因だと明言する場面も、作中には出てきません。
ただ、トンボとの関係が気持ちの揺れに関わっているのは、画面を追えば分かります。パーティーに行けず、誘われた自転車にぎこちなく乗り、集まってきたトンボの友人たちの輪に入れないまま帰る。自分だけが違う、という感覚が積み重なっていきます。パーティーに誘われたときには、黒い服を一着しか持っていないことをキキ自身が気にしていました。
恋そのものというより、まわりと自分を比べ始めたことのほうが近いと僕は読んでいます。比べる相手がいなかった故郷では、飛べることは当たり前でした。街に来て初めて、それが自分を支える唯一の取り柄だと気づく。取り柄として意識した瞬間に、無意識には戻れません。
なお、原作者の角野栄子さんの小説にも、魔女と黒猫が話せなくなる展開があります。恋をしたからだと紹介されることが多く、ジジの言葉が聞こえなくなる場面と結びつけて語られやすいのは、このためです。ジジのほうの事情は魔女の宅急便のジジはなぜ最後まで喋らない?にまとめました。
原作の魔法はなぜ弱まっているのか
原作の小説では、魔法が弱まる理由が別の形で説明されています。しかも、弱まっているのはキキ個人ではなく魔女全体です。
第1巻の時点でキキが使える魔法は、ほうきで飛ぶことだけ。昔の魔女はもっといろいろな魔法を使えたのに、代を重ねるうちに消えていった、という設定です。母のコキリは、その理由をこう話します。
ほんとうにまっくらな夜と、まったく音のないしずけさがなくなったせいだっていう人がいるのよ
街に灯りと音が増えて、魔法が育つ場所がなくなりました。世界の側の変化として語られているわけです。角野さんは、使える魔法を一つに絞った理由について、魔法でいろいろなことができれば物語はつまらなくなる、と説明しています。何でも解決できてしまえば、工夫も想像力も生まれないからです。
そして原作の第1巻には、キキが飛べなくなって立ち直るというあの展開そのものがありません。スランプは映画のために足された筋書きです。角野さんは映画について、お話の筋がちょっと違うので驚いた、という趣旨のことを語っています。
つまり、原作を読んでも飛べなくなった理由は出てきません。原作とはまったく別の問いとして、映画だけが持っている空白です。
ウルスラは何と答えたのか
作中でこの問題に正面から答えるのは、森の小屋で絵を描いているウルスラだけです。飛べなくなったキキに、ウルスラは自分も絵が描けなくなることがあると打ち明けます。
そのときどうするか。まずは、ジタバタするしかないから描いて描いて描きまくる。それでも駄目なら、描くのをやめて、散歩をしたり景色を見たり昼寝をしたりして何もしない。そのうち急に描きたくなる、というのがウルスラの答えです。
原因の話をひとつもしていないところが、この場面の要です。なぜ描けなくなったのかは分からない前提で、分からないまま付き合う方法だけを渡す。監督が理由に理屈をつけなかったことと、きれいに揃っています。
ウルスラ自身も、同じ行き詰まりを通ってきました。自分の絵が誰かの真似だと気づき、描きたいものを見つけるまで苦しんだ時期があった、とキキに話します。答えを上から渡す人ではなく、先に同じ道を歩いた人としてそこにいるわけです。
なぜ最後にまた飛べたのか
戻るきっかけは、練習でも助言でもありませんでした。飛行船の事故でトンボが空に取り残される様子を、キキはテレビで見ます。そこから先は、飛べるかどうかを考える余裕がありません。
キキは掃除夫からデッキブラシを借り、人だかりの中で飛び立ちます。母のほうきはもう折れていて、道具としては間に合わせです。それでも飛べたのは、道具の問題ではなかったからでしょう。
この場面でキキは、魔法をもう一度「考えなくても使える力」として取り戻したわけではありません。最初はふらつき、ブラシに振り落とされそうになりながら、どうにか体勢を立て直しています。無意識で使えていた力を、意識して使い直した。監督が語っていた才能の過程が、そのまま画面になっています。
ジジの言葉が最後まで戻らないのも、同じ理由だと僕は考えています。失ったものが全部返ってくる終わり方にはなっていません。終盤で海に届く手紙の「落ち込むこともあるけれど、私、この町が好きです」という一文も、落ち込みがなくなったとは言っていません。落ち込みごと引き受けられるようになった、という書き方です。
まとめ
- キキが飛べなくなった理由を、映画は説明していません。宮崎駿監督は、理屈をつけても問題は明瞭にならないと語り、原因ではなくその後の過ごし方に時間を使いました
- この映画の魔法は、等身大の少女の誰もが持つ何らかの才能を意味する限定された力だと、パンフレットと企画書で定義されています
- 恋や体の変化が原因だという説に、公式の説明はありません。パイの一件やトンボの友人たちとの距離など、自分とまわりを比べ始める出来事が重なっています
- 原作の小説では、魔法が弱まるのは魔女全体の話で、飛べなくなって立ち直る筋書きそのものが映画で足されたものです
- ウルスラは原因を問わず、描き続けるか何もしないかの二択を示します。最後にキキがデッキブラシで飛ぶのは、無意識だった力を意識して使い直す場面です
ジブリ作品が腑に落ちないまま終わる感覚については、ジブリの良さがわからないのは自分だけ?でも扱いました。
映画館でジブリ作品を観たい人は、ジブリは今映画館でやってる?で上映の予定を確かめてください。
参考
- 魔女の宅急便 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/majo/
- 「魔女の宅急便」のキキ 魔法の力が消える? どうして(河村鳴紘・Yahoo!ニュース エキスパート・2022年4月29日) — https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/ff5df2e615e8ed8f0e4b757999a11edfe9348875
- 宮崎駿監督『魔女の宅急便』の“等身大”は、自立を目指す女性へのエール(アニメージュプラス) — https://animageplus.jp/articles/detail/43839
- キキの魔法はなぜ一つ? 『魔女の宅急便』作者・角野栄子が語るその秘密(早稲田ウィークリー) — https://www.waseda.jp/inst/weekly/features/specialissue-majotaku1/
- 魔女の宅急便(1989年の映画) — Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/魔女の宅急便_(1989年の映画)


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