『もののけ姫』のラストでシシ神は「殺された」のではなく、首を返されて朝日の中に消えました。アシタカの言葉どおり、シシ神は生と死の両方を持つ「命そのもの」です。だから消えたあとの山に緑が戻ります。ただし元の深い森ではなく、アシタカの痣も消えきらず、サンとアシタカは別々に暮らします。
観た直後に引っかかる人が多いのは、次の4つです。「シシ神はなぜ死ぬのか」「蘇った森は元どおりなのか」「痣はなぜ残っているのか」「結局あの2人はどうなったのか」。Yahoo!知恵袋には「正解はないと思うが、他の人の考えを知りたい」という質問が実際に立っています。公開から30年近くたった今も、答えを探す人がいるわけです。
この記事では、この4つに「最後のこだまの意味」と「結局ハッピーエンドなのか」を加えて答えます。考察の根拠は作中の描写と、スタジオジブリ公式の回答、宮崎駿監督が制作中に語った言葉です。「公式が言っていること」と「読み方が分かれるところ」をはっきり分けて書きます。
シシ神はなぜ死ぬのか
この問いには、作中に2つの答えがあります。シシ神が「死んだ」と言うのはサンで、「死にはしない」と言うのはアシタカです。どちらが正しいかは、シシ神がどういう存在かによります。まず、首を失ってから何が起きたかを順に見ます。
首を失ってから何が起きたか
シシ神は昼は鹿の姿、夜は半透明の巨人デイダラボッチの姿をとります。その首には不老不死の力があると信じられていて、ジコ坊はそれを帝に届けるために動いていました。
| 場面 | 起きたこと |
|---|---|
| 夜、池のほとり | デイダラボッチに変わろうとした瞬間、エボシの銃で首を撃ち落とされる |
| 首を失った直後 | 黒い体液が流れ出し、触れたものの命を吸い取りながら山が枯れていく |
| 首を探す | 首のない巨体が首を求めてタタラ場のほうへ歩き、村も森も飲み込まれる |
| 夜明け | アシタカとサンが2人でシシ神に首を返す |
| 朝日 | 首を受け取ったシシ神は倒れ、風が吹き、枯れた山に緑が戻る |
首をなくしてもシシ神は動き続け、命を吸い続けていました。消えたのは首を撃たれた瞬間ではなく、首が戻って朝日を浴びた瞬間です。
「死にはしないよ」の意味
緑が戻った山を見て、サンは「よみがえっても、ここはもうシシ神の森じゃない」と言います。それに対してアシタカが返す言葉が、この映画の答えです。
シシ神は死にはしないよ。命そのものだから。
アシタカはこのあと、生と死の両方を持っているものだ、と続けます。実際にシシ神は作中で、傷を治す神であると同時に、触れたものの命を奪う神でした。銃で撃たれたアシタカの傷を治したのもシシ神ですし、鹿の姿で歩く足元では草が芽吹いてすぐに枯れていきます。アシタカが言っていたのは、この二面性のことです。
首が戻ったのになぜ消えたのかは、作中で言葉では説明されていません。描写として確かなのは、首が戻った瞬間に巨体が倒れ、風とともに緑が広がったことです。僕はこれを、首を失って「死」の側面だけになったシシ神に生の側面が返り、吸い上げた命が山に戻された場面だと読んでいます。
アシタカの言葉は、シシ神の体が残っているという意味ではありません。鹿の姿もデイダラボッチも、もう現れません。サンの「死んでしまった」は、その意味では正しい言葉です。2人は同じ光景を見て、違う言葉を選んでいます。
蘇った森は元の森ではない
ラストで戻った緑は、シシ神の森ではありません。映画の冒頭では、この国は「深い森」におおわれていたと語られます。シシ神の森は、日の光がほとんど届かない、巨木と苔の暗い森でした。一方、ラストで広がるのは背の低い草と若木ばかりの、明るい斜面です。倒れた大木の上に若木が芽吹くカットはありますが、元の深い森は戻ってきません。
サンの「ここはもうシシ神の森じゃない」という言葉は、その変化を正確に言い当てています。太古からの神々が住む森は終わり、若い草木の斜面に置き換わった。それがラストで起きたことです。
アシタカの痣はなぜ消えないのか
ラストで、アシタカの右腕には痣がうっすら残っています。これは公式の答えがある部分です。
2021年8月13日の金曜ロードショー放送時に、スタジオジブリの公式アカウントが視聴者の質問に答える企画を行いました(当時のTwitter、現在のX)。そこで痣について、次のように回答しています。
痣が薄く残っているのは、呪いが完全に消えてはないからです。
同じ投稿では、宮崎監督が座談会で語った言葉も紹介されています。今の若者はハッピーエンドにむしろ納得しない。痣が完全に消えたのではなく、いつまた再発するか分からないものを抱えて生きていく、というほうが本当らしく感じられる。そういう趣旨です。
公式の答えは「呪いは解けた」でも「何も変わっていない」でもなく、「薄くなったが消えていない」です。タタリ神の呪いは、人間に撃たれた猪神の憎しみから生まれたものでした。人間と森の対立が残っている以上、呪いだけが消えるわけではない。痣は、ラストの世界がまだ問題を抱えたままだという印だと読めます。
「共に生きよう」はどういう意味か
最後の会話は、観た人がいちばん引っかかるところでしょう。
アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない。
サンがそう言うと、アシタカは「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう」と答え、「共に生きよう。会いに行くよ、ヤックルに乗って」と続けます。
「一緒に暮らす」ではなく「別々に暮らす」
「共に生きよう」は、一緒に住もうという意味ではありません。アシタカが故郷のエミシの村に帰る選択も、サンを連れて村に帰る選択も、ここでは選ばれていません。
別々に暮らす理由は、サンの言葉にあります。サンは人間を許せないままです。その気持ちを変えないまま、アシタカは「それでもいい」と受け止めました。相手の憎しみごと受け入れて、それぞれの場所で生きながら会いに行く。それが「共に生きよう」の中身です。
監督が語った「その後」
制作の過程を記録した書籍『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(浦谷年良、徳間書店、1998年)に、宮崎監督がアシタカの「その後」を語った言葉が残っています。タタラ場とサンの間に入って「切り刻まれながら生きるしかない」という内容です。サンを連れて自分の国に帰っても何の解決にもならないので、ここで生きていくと決めた、と説明しています。
『もののけ姫 ロマンアルバム』(アニメージュ編集部編、徳間書店、1997年)では、サンの最後の言葉を「答えが出せないままにアシタカに刺さったトゲ」と表現しています。アシタカはそのトゲとも一緒に生きていこうと思っている、という説明です。
どちらの発言も、ラストを「和解」や「結ばれた」とは言っていません。問題は解けていない、それでも生きる。アシタカはそう選んでいます。キャッチコピーの「生きろ。」は、この意味で読むと腑に落ちます。
最後のこだまは何を意味するのか
ラストカットで、若木のそばに1体のこだまが現れて、カラカラと首を鳴らします。こだまは、この映画ではシシ神の森の奥深く、木々が豊かな場所に群れで現れる存在です。序盤でこだまを怖がる甲六に、アシタカは「森が豊かなしるしだ」と言っています。シシ神が消えた山にこだまが1体戻ってきたのは、この山がまだ死んでいないという合図だと読めます。
ただし、1体だけです。冒頭の森にいた無数のこだまとは比べものになりません。森は生きているが、以前の森ではない。最後のカットは、その両方をこの小さな姿で見せています。
「あのこだまはトトロになる」説
この最後のこだまについて、「後にトトロになる」という話がよく語られます。出どころは制作中の会話で、先ほどの書籍『「もののけ姫」はこうして生まれた。』に記録があります。宮崎監督は、アニメーターの二木真希子さんから「チビで一匹でいいから、こだまがのこのこ歩いているやつを最後に入れてくれ」と頼まれたそうです。それが「トトロに変化した」と、笑いながら語っています。
同じ記録によると、監督は制作中に「この森にトトロが出ていない」と気にしていたそうです。トトロは何千年も生きている設定なので、室町時代ごろの深い森には本当ならトトロがたくさんいるはずだ、という話です。
2021年8月の公式Xの質問企画でもこの話は取り上げられました。回答は「宮崎さんが制作中に、そのようなことをスタッフに話したことはあるようですが……」という言い方にとどまっています。「こだまがトトロになる」を公式設定として断定しているページもありますが、制作現場で冗談めかして交わされた話。公式設定とまでは言えないと考える方が妥当でしょう。
結局ハッピーエンドなのか
ここまでの答えを並べると、「完全なハッピーエンドではない」が僕の結論です。シシ神は消えて森は元に戻らず、痣は薄く残り、サンは人間を許していない。この3点が理由です。
一方で、悲劇でもありません。山には緑が戻り、こだまも戻りました。エボシは生き残って「ここをいい村にしよう」と村人に語り、ジコ坊は「参った参った。馬鹿には勝てん」と笑って引き下がります。人間の側も森の側も、全滅せずに次の一歩を踏み出したところで映画はおしまいです。
ふたまん+の記事によると、宮崎監督はエボシを生かした理由を、雑誌『TECH WIN』の別冊『VID DOO!』のインタビューで「生き残る方が大変だと思っている」という趣旨で語っています。死なせて終わらせるより、問題を抱えたまま生き続けるほうが重いという考え方で、痣を残した理由と同じです。
冒頭の知恵袋の質問に戻ると、答えはこう整理できます。シシ神の死と森の変化は、描写とセリフからほぼ一つの読み方に絞れます。痣については公式の回答がある。読み方が分かれるのは「この結末を前向きと見るか、後味が悪いと見るか」で、そこは観た人それぞれが決めてよい部分です。
まとめ
- シシ神は首を返されて朝日の中で消えた。生と死の両方を持つ「命そのもの」なので、消えたあとの山に緑が戻る
- 蘇った緑は元の深い森ではない。サンの「もうシシ神の森じゃない」という言葉のとおり
- アシタカの痣は「呪いが完全に消えてはいない」が公式の回答。問題を抱えたまま生きる結末を監督が選んだ
- 「共に生きよう」は別々の場所で暮らし、会いに行くという意味。監督は「切り刻まれながら生きるしかない」と語っている
- 最後のこだまは森が生きている印。「トトロになる」は制作中の会話で、公式設定ではない
参考
- もののけ姫 作品ページ — https://www.ghibli.jp/works/mononoke/
- スタジオジブリ公式X(@JP_GHIBLI)2021年8月13日の投稿(金曜ロードショー放送時の質問回答) — https://x.com/JP_GHIBLI
- 『「もののけ姫」はこうして生まれた。』(浦谷年良、徳間書店、1998年)/同名のドキュメンタリー番組
- 『もののけ姫 ロマンアルバム』(アニメージュ編集部編、徳間書店、1997年)
- 知って驚くジブリ『もののけ姫』の裏話…幻の“キャッチコピー”にアシタカの“消えなかった腕のアザ”の理由も — https://futaman.futabanet.jp/articles/-/124776

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