火垂るの墓の節子は何歳で、なぜ死んだ?最後の場面と原作の違い

『火垂るの墓』の節子は4歳です。死因は病気ではなく、栄養失調から来る衰弱でした。原作の小説では、終戦から7日後の8月22日に亡くなります。

観終わったあと「節子は結局なんで死んだの?」「あれは病気だったの?」と気になった人は多いはずです。映画は医者のひと言で死因を告げるだけで、あとは節子の体が弱っていく様子を淡々と見せます。

この記事では、節子の年齢、死因、亡くなった日と最後の場面を順に整理します。映画と原作で最後の描き方がどう違うのか、モデルになった作者の妹はどんな子だったのかも見ます。

節子は何歳なのか

4歳です。兄の清太は14歳で、旧制中学(今の中学・高校にあたる学校)の3年生。10歳離れた兄妹です。

4歳という年齢は、映画の中の節子のふるまいとよく合っています。母の着物を覚えていて、ドロップが好きで、自分では何もできない。だからこそ、14歳の清太がすべてを背負うことになります。

清太は母の死を節子に伝えられず、病院に入院していることにしていました。ところが節子は、おばさんから母が亡くなったことをすでに聞かされていた。それを黙っていたことが、物語の途中で分かります。4歳なりに兄を気づかっていた、と受け取れる場面です。

声を演じたのは白石綾乃さんです。高畑勲監督は「節子と同年輩で関西弁の子役」を求めてオーディションを行い、当時5歳だった白石さんが選ばれました。1988年4月16日の公開時点で5歳11か月。節子の幼いしゃべり方は、実際に同じ年ごろの子どもの声です。

死因は何?病気だったのか

病気ではありません。栄養失調から来る衰弱です。

映画の終盤、清太は川辺で倒れていた節子を病院へ連れて行きます。診察した医者が告げるのが「栄養失調から来る衰弱」で、勧めるのは滋養をつけることだけ。清太が「どこにそんな栄養がある」と言い返すのは、薬ではなく食べ物がないことが問題だからです。

その前から、節子の体には異変が出ていました。

  • 汗疹(あせも)や疥癬(かいせん。皮膚の病気)ができる
  • 髪に虱(しらみ)がつく
  • 何日も下痢が続く

どれも、食べるものが足りず体が弱っているときに起きることです。「何かの病気にかかって死んだ」のではなく、食べられない日が続いた結果として、体が持たなくなった。映画は医者のひと言のほかは、節子の体の変化だけでそれを見せています。

清太が銀行から母の貯金を下ろし、食べ物を買いに走るのはこのあとです。ところが、その途中で日本の降伏を知ります。食べ物を手に入れて戻ったときには、もう間に合いませんでした。

そもそも兄妹が食べ物に困るようになったのは、身を寄せていたおばさんの家を出て、2人だけで暮らし始めてからです。死因は栄養失調ですが、その背景には、頼れる大人のいない子ども2人が戦争の終わりの混乱に取り残されたことがあります。

節子はいつ、どんな最後を迎えたのか

原作の小説では、節子は8月22日に亡くなります。終戦の8月15日から7日後です。戦争が終わってから死んだ、という点が、この作品のつらさのひとつになっています。

映画の最後の場面

映画の節子は、死の直前にはもう意識がはっきりしていません。おはじきをドロップだと思ってなめ、石をご飯だと思って清太に差し出します。目もうつろで、清太の言葉もほとんど届いていない状態でした。

清太が切って食べさせたスイカを口にしたあと、節子は眠り、そのまま目を覚ましません。その少し前、何が食べたいかと聞かれて口にしたのが「またドロップ舐めたい」でした。

原作との違い

原作では、節子は清太が池で泳いでいるあいだに息を引き取ります。死の場面を兄のすぐそばで描いたのは、映画の演出です。

そのため観る側は、清太と一緒にその死を見届けることになります。僕は、ここが映画をいちばんつらくしている部分だと考えています。原作のように「気づいたら亡くなっていた」のではなく、弱っていく妹を兄が見ているしかない時間が、画面にそのまま残るからです。

ドロップ缶に入っていたのは何か

節子の骨です。

清太は、節子を大事にしていた人形や財布と一緒に、自分の手で火葬します。そして骨を、節子が好きだったドロップの缶に納めました。

映画の冒頭で、駅で亡くなった清太の持ち物として出てくるのが、このさびたドロップ缶です。駅員が放り投げると、ふたが開いて、中から小さな骨のかけらが転がり出ます。ドロップ缶は、節子の好物であり、節子そのものでもあるわけです。

清太が亡くなったのは、1945年9月21日の夜。場所は三ノ宮駅の構内で、まだ14歳でした。映画は幽霊になった清太の「僕は死んだ」という語りから始まり、そこから過去へさかのぼります。観客は、2人とも助からないことを最初から知らされたうえで物語を観ることになります。

ラストの節子は何を意味するのか

映画の最後、幽霊になった清太と節子が丘の上に並び、現代の神戸の夜景を見下ろします。この場面は原作になく、映画で足されたものです。

高畑監督は製作発表の時点で、この物語は戦時中だけの話ではなく、現代にも続くと語っていました。ラストで今の神戸の夜景につないだのは、この考えを画面にしたものと受け取れます。

作中で画面が赤く染まる場面も、同じ仕掛けです。高畑監督の説明では、赤い場面には幽霊の清太と節子がいて、自分たちの記憶を何度も見つめ直していることを表しています。僕は、2人が亡くなったあともあの夏をくり返し見ている、という仕掛けが、観終わったあとの重さにつながっていると考えています。

節子にモデルはいるのか

います。原作者の野坂昭如さんの妹です。ただ、物語の節子とはかなり違います。

野坂さんは、神戸の空襲で家を失ったあと、幼い妹と一緒に西宮の親類の家に身を寄せていました。この妹の恵子さんは、物語と違ってまだ1歳6か月。疎開先の福井県で亡くなったのは8月22日。物語の節子と同じ日です。食べるものが乏しいなか、骨と皮だけにやせて、誰にもみとられずに亡くなったとされています。

野坂さんは、戦中から戦後にかけて2人の妹を相次いで亡くしています。上の妹は、まだ暮らしに余裕があった頃に病気で亡くなり、野坂さんは兄としてかわいがっていました。下の妹の恵子さんは、家を失ってから野坂さんが面倒を見ることになった子です。その恵子さんのことは、どちらかといえば疎ましく感じていたと本人が認めています。物語の節子には、平和だった頃の上の妹の思い出と、恵子さんの最期の両方が重なっていると読めます。

野坂さんは、この妹への思いを随筆「私の小説から 火垂るの墓」に書いています。その中で、小説の清太ほど妹をかわいがってやればよかったと悔やみ、こう書いています。

ぼくはあんなにやさしくはなかった。

物語の清太は、妹のために盗みまでする兄。僕は、作者がそうありたかった兄の姿を清太に託したのだと読んでいます。現実の恵子さんは1歳6か月でしたが、物語の節子は兄と言葉を交わせる4歳です。そこにも作者の後悔が表れていると読めます。

まとめ

  • 節子は4歳。兄の清太は14歳
  • 死因は病気ではなく、栄養失調から来る衰弱。医者は滋養をつけることしか勧められなかった
  • 原作では終戦から7日後の8月22日に亡くなる。映画では、スイカを食べたあとに眠り、目を覚まさない
  • ドロップ缶に入っていたのは節子の骨。ラストで幽霊の2人が現代の神戸を見下ろすのは、映画だけの場面
  • モデルは野坂昭如さんの妹・恵子さん。1歳6か月で、同じ8月22日に福井で亡くなった

映画を作った高畑勲監督については、高畑勲はなぜパクさんと呼ばれる?名付け親と宮崎駿が語った由来で呼び名の由来を整理しています。

参考

  • 火垂るの墓 — Wikipedia(登場人物・あらすじ・作品背景。野坂昭如「私の小説から 火垂るの墓」の引用あり) — https://ja.wikipedia.org/wiki/火垂るの墓

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