高畑勲監督が「パクさん」と呼ばれるのは、東映動画に入ったばかりのころ、朝の会議室で菓子パンをパクパク食べていたからです。名付け親は同期の池田宏監督で、本人がそう書き残しています。
この呼び名が広く知られたのは、2018年5月のお別れの会でした。宮崎駿(宮﨑駿)監督が「パクさん」と何度も呼びかけ、その様子が報じられると、「なぜパクなのか」「朴さんなのか」という声が広がりました。Yahoo!知恵袋には、2013年から2025年まで同じ質問が繰り返し投稿されています。
この記事では、名付け親の証言と宮崎監督が語った由来を並べ、細部のどこが一致してどこが違うのかを整理します。「パク」が名字ではない理由と、誰がこの呼び名を使っていたのかも書きました。
「パクさん」の由来は?菓子パンをパクパク食べていたから
答えは食べ方です。新人時代の高畑勲が朝の会議室で菓子パンをパクパク食べる姿に、同期がつけた呼び名が「パクさん」でした。名付け親の証言と、宮崎監督が語った由来を順に見ます。
名付け親は同期の池田宏監督
名付け親の池田宏監督は、2018年の『キネマ旬報』6月上旬特別号に追悼文を寄せています。題は「永遠の『先達』のまま逝ってしまったパクさん」。あだ名を付けた経緯は、そこにはっきり書かれています。
出会いは1958年、東映動画が初めて公募した演出助手の採用試験でした。追悼文によると、控え室には詰襟の学生服の若者が大勢いて、その中で一人だけ背広を着て静かに座っていたのが高畑青年だったといいます。興味を持った池田監督は面接のあと喫茶店に誘い、高畑青年はフランスの詩人について長い時間、熱く語りました。
入社後、新人の演出助手は毎朝スタジオの会議室に集まる決まりでした。いつも少し遅れて入ってくるのが高畑監督で、朝ごはん用の菓子パンをパクパク食べていたそうです。それで池田監督が「パクさん」と呼び始めた、というのが本人の説明です。池田監督は日本アニメーション学会の追悼研究会でも同じ経緯を語っています。朝ごはんを食べずに出社し、菓子パンをパクパク食べていたからだ、と。
池田監督はこの追悼文で、愛称はやがて尊称、つまり敬意のこもった呼び名に変わっていった、とも書いています。新人どうしのからかい半分の呼び名が、そのまま日本のアニメーションを代表する監督の呼び名になったわけです。
池田監督は、『空飛ぶゆうれい船』(1969年)や『どうぶつ宝島』(1971年)を監督したあと、任天堂で情報開発部長を務めた人物です。高畑監督とは家族ぐるみの付き合いが続いたといいます。
宮崎駿監督が語った由来は「噂です」と断ったもの
2018年5月15日、三鷹の森ジブリ美術館で開かれたお別れの会で、宮崎駿監督は開会の辞のなかで呼び名の由来に触れました。
パクさんというあだ名の謂れはですね、定かでない部分もあるんですが
こう前置きしたうえで語ったのは、次のような話です。高畑監督はものすごく朝が苦手で、東映動画に勤め始めたころは毎日ギリギリに駆け込んでいたといいます。買ってきたパンをタイムカードを押してからパクパクと食べ、水道の蛇口からそのまま水を飲んでいたそうです。最後は、それで「パク」になったという噂だ、と結んでいます。
2人の話を並べると、こうなります。
| 見る点 | 池田宏監督(名付け親) | 宮崎駿監督(開会の辞) |
|---|---|---|
| 立場 | 自分が付けたと明記 | 「噂です」と断って紹介 |
| 時期 | 1959年の入社直後 | 東映動画に勤め始めたころ |
| 場面 | 毎朝の会議室に少し遅れて入ってくる | ギリギリに駆け込み、タイムカードを押してから |
| 食べていたもの | 菓子パン | 買ってきたパン |
朝に弱く、遅れて来て、パンをパクパク食べていた。骨組みは同じで、違うのは細部だけです。宮崎監督が高畑監督と出会ったのは1963年なので、1959年の会議室の光景を自分の目で見てはいません。「噂」と言ったのは、先輩たちから聞いた話だからでしょう。
ネット上には「食パンをパクパク」「あんパンをパクパク」と、パンの種類が変わった話も出回っています。名付け親の池田監督が書いているのは「菓子パン」です。
「パク」は朴という名字ではない
「パク」は食べる音のパクパクで、名字ではありません。「パクさん」を聞いて韓国の名字の朴(パク)を思い浮かべる人は多いようで、Yahoo!知恵袋には2013年から2025年まで、「外国の人なのか」「本名ではなく通名なのか」と尋ねる質問が繰り返し投稿されています。
高畑勲監督は1935年10月29日、三重県伊勢市の生まれで、岡山で育ちました。父は中学校の校長で、戦後に岡山県の教育長を務めた高畑浅次郎。その三男で、「高畑勲」は本名です。1959年に東京大学のフランス文学科を卒業し、東映動画に入りました。
お別れの会の2日後には、「なぜパクさんなのか」と戸惑う声が広がったことを伝える記事も出ています。宮崎監督の話し方が「噂です」だったこともあって、あだ名だとすぐには伝わらなかったのでしょう。由来を知っている人には当たり前でも、初めて聞く人には名字にしか聞こえない。この呼び名が誤解されやすい理由は、そこにあります。
誰が「パクさん」と呼んでいたのか
東映動画の新人時代からの仲間です。名付け親の池田監督、そして1963年に出会った宮崎監督。宮崎監督は開会の辞のなかで、高畑監督への呼びかけをすべて「パクさん」で通しています。
一方で、お別れの会で言葉を寄せた人の多くは「高畑さん」「高畑監督」と呼んでいます。アニメーターの大塚康生さんも、作曲家の久石譲さんも、鈴木敏夫プロデューサーも「高畑さん」でした。「パクさん」は、東映動画の新人時代を知る近い仲間が使ってきた呼び名で、お別れの会ではその使い分けがそのまま表に出た形です。
ジブリの呼び名といえば、鈴木プロデューサーは、40年のあいだ1週間と顔を合わせない期間がなかった宮崎監督を「宮さん」と呼んでいます。「パクさん」と「宮さん」は、その並びで見ると腑に落ちます。
高畑監督と宮崎監督が声の演出で何を求めたかは、ジブリはなぜ声優を使わない?宮崎駿と高畑勲が求めた「存在感」で整理しています。
宮崎駿の「パクさん」は1963年のバス停から始まった
宮崎監督は開会の辞で、初めて言葉を交わした日を語りました。1963年、高畑監督が27歳、宮崎監督が22歳のとき。夕暮れのバス停で練馬行きのバスを待っていると、雨上がりの水たまりが残る通りを一人の青年が近づいてきたといいます。
「瀬川拓男さんのところに行くそうですね」 穏やかで賢そうな青年の顔が目の前にあった。
これが高畑監督でした。開会の辞の結びは、次の言葉です。
ありがとう、パクさん。55年前に、あの雨上がりのバス停で声をかけてくれたパクさんのことを忘れない。
出会ったときにはすでに「パクさん」だった先輩を、宮崎監督は55年後の別れの場でも同じ名前で呼びました。出会いがその呼び名で始まったからこそ、最後まで変わらなかったのだと僕は読んでいます。
まとめ
- 「パクさん」は、東映動画に入った1959年、毎朝の会議室に少し遅れて来て菓子パンをパクパク食べていたことから付いたあだ名。名付け親は同期の池田宏監督で、本人が『キネマ旬報』の追悼文に書いている
- 宮崎駿監督が語った由来(タイムカードを押してからパン、蛇口から水)は「噂です」と断ったもの。骨組みは池田監督の話と同じ
- 「パク」は名字の朴ではない。高畑勲は三重県伊勢市生まれ、岡山育ちの本名
- 呼んでいたのは池田監督や宮崎監督など、東映動画の新人時代からの仲間。お別れの会の多くの登壇者は「高畑さん」
- 宮崎監督は1963年のバス停の出会いから55年、「パクさん」で通した
参考
- 宮崎駿、盟友・高畑勲さんに涙の言葉<開会の辞 全文> — シネマトゥデイ(2018年5月15日) — https://www.cinematoday.jp/news/N0100819
- 池田宏「永遠の『先達』のまま逝ってしまったパクさん」『キネマ旬報』2018年6月上旬特別号
- 「高畑勲監督追悼研究会」— 日本アニメーション学会誌 2020年 Vol.21 No.1 — https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjas/21/1/21_93/_pdf
- 高畑勲監督 訃報 — スタジオジブリ — https://www.ghibli.jp/info/012850/
- 高畑勲お別れ会に山田洋次、大塚康生、富野由悠季、久石譲、押井守ら3200人 — 映画ナタリー(2018年5月15日) — https://natalie.mu/eiga/news/282104


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