千と千尋の神隠しのモデルは本当に九份?公式の否定と参考にした場所

台湾の九份は、『千と千尋の神隠し』のモデルではありません。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが2023年に台湾メディアの取材で、宮崎駿監督も自分も九份を訪れたことがないと明言しています。

それでも「千と千尋の舞台」として九份を紹介する旅行サイトや番組は今も多く、赤い提灯の並ぶ茶屋の写真を見れば、似ていると感じるのも無理はありません。この記事で分かるのは、「結局モデルなのか」と「違うなら、どこを参考にしたのか」の2つです。

公式側の発言を先に示し、なぜ九份が似て見えるのかを整理したうえで、実際に参考にされた日本の場所を「誰が言っているか」の強さで並べます。

九份がモデルという話は本当なのか

本当ではありません。スタジオジブリ側が、はっきり否定しています。

2023年9月、鈴木敏夫プロデューサーは台湾メディアの取材に応じ、『千と千尋の神隠し』のモデルが九份だという説を否定しました。自分も宮崎駿監督も、九份の地を踏んだことがないという説明です。台湾メディアのNOWnewsがこれを報じ、Record Chinaが2023年9月20日に日本語で伝えています。

同じ報道によると、九份説は20年以上前から広まっていました。日本人も信じ、地元の観光番組でも紹介されていたそうです。作品の公開は2001年ですから、ほぼ公開直後から「舞台は九份」という話が定着していたことになります。

作り手が現地に行ったことがない以上、少なくとも監督が現地を見て描いた、という話は成り立ちません。「モデルかどうか」という問いへの答えは、ここで決まります。

なお、否定の言葉が出たのが2023年というのは遅く感じるかもしれません。ただ、ジブリ側が九份をモデルと認めた発言は、公式には一度も出ていません。否定が遅かったのではなく、もともと肯定していないのです。

なぜ九份がモデルと言われるようになったのか

はっきりした起点は分かっていません。

Record Chinaの報道で分かるのは、九份説が20年以上前から広まり、地元の観光番組でも紹介されていたことまでです。ジブリが確認した形跡がないまま旅行ガイドやテレビ番組に載り、それが繰り返し引用されて定着したと考えるのが自然でしょう。

つまり九份説は、誰かが公式に確認して広めたものではなく、「似ている」という印象と「監督が来たらしい」という伝聞が重なって育った話です。観光地としての九份の人気が高まるにつれ、映画の名前が宣伝に使われ、さらに広まったという流れも考えられます。

それでも似て見えるのはなぜか

九份の風景が油屋を思わせるのは事実です。似て見える理由は、大きく3つあります。

1つ目は、赤い提灯です。九份の茶屋「阿妹茶樓」の周りには赤い提灯が並び、夕暮れに灯ると、油屋の夜の場面を連想させます。2つ目は、坂と階段が入り組んだ町の作りです。油屋の周りの街並みも、狭い路地と階段で構成されています。3つ目は、古い木造の建物が斜面に重なって建っている密度です。

ただし、これらは九份だけの特徴ではありません。赤い提灯と木造の建物は、日本の温泉街や古い町並みにも共通します。「九份が油屋に似ている」のではなく、「油屋が東アジアの古い町の記憶をまとめたような建物」だから、九份を見ると思い出す、と考えたほうが実態に近いと僕は見ています。

実際に参考にした場所はどこなのか

『千と千尋の神隠し』の油屋に、「これがモデル」と決まった1か所はありません。参考にされた場所は複数あり、誰がそう言っているかの強さも違います。強い順に並べます。

場所どこにあるか誰が言っているか
江戸東京たてもの園(子宝湯・武居三省堂)東京都小金井市ジブリが公式サイトのジブリ日誌で「大いにインスピレーションを与えた」と書いている。園も案内している
道後温泉本館愛媛県松山市旅行記事などで、監督が油屋の参考に入っていると語ったと紹介されている
四万温泉 積善館群馬県旅館側と旅行サイトが「モデルの一つ」と紹介。監督の発言として引用されることもある
渋温泉 金具屋、銀山温泉 など長野県・山形県旅行サイトやファンの間で「似ている」と言われている

一番はっきりしているのが、江戸東京たてもの園です。園はスタジオジブリから歩いて数分の場所にあり、宮崎監督も訪れていた場所です。ジブリの公式サイトのジブリ日誌(2003年1月)には、園内の銭湯「子宝湯」が油屋に「大いにインスピレーションを与えた」と書かれています。文具店「武居三省堂」の壁一面の引き出しは、釜爺のボイラー室の元になりました。

道後温泉本館は、正面の屋根の形が油屋に似ていると言われる場所です。旅行記事などでは、監督が「特定のモデルはないが道後温泉も油屋の参考に入っている」という趣旨のことを語ったと紹介されています。

積善館は、赤い橋と木造の本館が油屋の入口を思わせる旅館です。旅館側はモデルの一つとして紹介しており、旅行サイトにも同じ説明が多く載っています。2008年に日本テレビで放送された宮崎監督の特別番組で、油屋のイメージの元の一つとして紹介されたことが、旅館の公式サイトに書かれています。ただ、ジブリ自身は公式サイトで積善館の名前を挙げていません。

どこか1か所を「本当のモデル」と呼ぶのは、油屋の成り立ちからして無理があります。

九份に行く意味はないのか

「モデルではない」と分かったうえで、九份に行く価値がなくなるわけではありません。似た雰囲気を楽しむ場所として見るなら、それは別の話です。

ただ、「ここが千と千尋の舞台です」と書かれた案内や、「宮崎監督が訪れた場所」という宣伝文句は、事実とは違います。そう書いてある旅行記事や動画を見ても、うのみにしないほうがよいでしょう。作品と結びつけて語るなら、「モデルではないが、油屋を思い出させる町」が正確な言い方です。

見分け方は簡単で、「誰がそう言っているか」を見ることです。ジブリの公式サイトや監督本人の言葉なら参考にした場所と言えます。旅館や観光地の側が「モデルと言われている」と書いているだけなら、似ているという評判の域を出ません。九份の場合は、その評判を公式側がはっきり否定した、という位置づけになります。

ジブリの世界を直接見たい人には、ジブリパークやジブリ美術館という選択肢もあります。ジブリパークの展示について知りたい人は、ジブリパークは大阪にできる?ジブリパーク展は本体とどう違うのかも読んでみてください。

まとめ

  • 九份は『千と千尋の神隠し』のモデルではない。鈴木敏夫プロデューサーが2023年に、宮崎監督も自分も九份に行ったことがないと否定している
  • 九份説は20年以上前から伝聞で広まり、旅行ガイドや番組に載って定着した
  • 似て見えるのは赤い提灯・坂道・木造の密集という共通点のせいで、九份だけの特徴ではない
  • ジブリが公式サイトで参考にしたと書いているのは東京の江戸東京たてもの園(子宝湯・武居三省堂)。道後温泉や積善館は「参考の一つ」として語られている
  • 油屋に「本当のモデル」と呼べる1か所はない

参考

  • 「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルは台湾・九份?スタジオジブリの鈴木敏夫氏が否定―台湾メディア(Record China・2023年9月20日) — https://www.recordchina.co.jp/b920822-s25-c30-d0203.html
  • ジブリ日誌 2003年1月9日(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/storage/diary/000060/
  • 江戸東京たてもの園 ジブリ『千と千尋』のモデルとなった建物も(Another TOKYO TAMA) — https://at-tama.tokyo/lang_jp/tourismtopics/edotokyotatemonoen/
  • 九份は「千と千尋」の舞台って本当?(WILLER) — https://travel.willer.co.jp/willer-colle/20212/

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