ゲド戦記はなぜひどいと言われる?原作者の言葉と腑に落ちる見方

『ゲド戦記』を観て「ひどい」「つまらない」と感じたなら、それは少数派の感想ではありません。公開翌年には、映画記者や評論家の投票でその年のワースト映画に選ばれています。原作者も自分の公式サイトで、はっきりと不満を書きました。

ただ、「ひどい」と言われる理由を分けてみると、映画そのものの出来だけでは説明がつかない部分があります。原作と別の話になっていること、説明されないまま進む設定、そして監督が決まるまでの経緯。この3つが重なって、あの評価になりました。

この記事では、その3つの理由と、原作者アーシュラ・K・ル=グウィンが実際に何と言ったのかを本人の言葉で紹介します。そのうえで、評価されている点と、「こう観ると腑に落ちる」という見方を最後に書きます。

つまらないと感じたのは自分だけ?

自分だけではありません。数字で残っている評価があります。

『ゲド戦記』は2006年7月29日公開の、宮崎吾朗監督の初めての作品です。興行収入は76.5億円で、その年の日本映画の1位でした。観た人の数だけなら大成功です。

ところが翌2007年1月、週刊文春の「文春きいちご賞」でその年のワースト1位に選ばれます。映画記者と評論家32人の投票で決まる賞で、「始まって5分くらいで置き去りにされてしまった」という審査員の声が報じられました。2位は『日本沈没』、3位は『ダ・ヴィンチ・コード』です。

観た人は多く、評価は低い。この組み合わせが、いまも「なぜあんなに言われるのか」という疑問を生んでいます。Yahoo!知恵袋には「個人的には好きなのに、どうして批判が多いのか」という質問が残っていて、答える側も「原作と別物」「初監督」「監督が宮崎駿の息子」を理由に挙げています。同じことを感じた人が、ずっといたわけです。

理由1: 原作を知っている人ほど「別の話」に見える

いちばん大きな理由は、原作と映画の関係です。

原作はル=グウィンの『ゲド戦記』全6巻で、映画は主に第3巻『さいはての島へ』を土台にしています。ただし、話の骨組みは原作どおりではありません。原案として宮崎駿監督の絵物語『シュナの旅』が入っていて、いくつもの要素が組み替えられています。

分かりやすいのが冒頭です。映画では、王子アレンが父である王を刺して国を出ます。この父殺しは原作にはなく、映画で作られた場面です。ゲド(ハイタカ)が主人公ではなく脇に回るのも、原作の読者にとっては大きな違いでした。

原作を読んでいた人は、知っている名前の人物が、知らない性格と知らない運命で動くのを観ることになります。ル=グウィン自身も、公式サイトで「タイトルだけ借りた別の映画」に近い不満を書いています(言葉はあとで紹介します)。この不満は、原作者と読者に共通していました。

原作を読んでいない人には、この不満は直接には関係ありません。ただ、この層の批判が最初に大きく出たことで、「ゲド戦記はひどい」という評価が先に定着しました。

理由2: 説明されないまま話が進む

原作を知らない人が「意味がわからない」と感じるのは、観ている側に説明されないことが多すぎるからです。

  • アレンはなぜ父を刺したのか。本人が「わからないんだ」と言うだけで、理由は最後まで語られない
  • アレンを追いかけてくる「影」は何なのか。原作の設定を知らないと、正体を受け取りにくい
  • 「真の名」を知られるとなぜ危ないのか。世界の仕組みが前提のまま進む
  • 世界の「均衡」が崩れているとは、何が起きていることなのか

原作では何巻もかけて積み上げてきた世界の決まりを、映画は前提として置いたまま進みます。だから、「置き去りにされた」という審査員の言葉は、原作を知らない普通の観客の感覚そのものです。

父殺しは、作中では理由のない衝動として描かれ、最後まで説明されません。それが狙いなのか説明不足なのかも、観ている最中には判断がつきにくい。ここが「わからない」と「つまらない」の分かれ目になっています。

声の演技を理由に挙げる人もいる

説明不足とは別に、声の演技を挙げる人もいます。アレンは岡田准一、テルーは手嶌葵、ハイタカは菅原文太、クモは田中裕子。俳優や歌手が中心の配役で、特に初めて演技をしたテルーの声に硬さを感じたという感想もあります。ただ、これは好みの差が大きい部分で、テルーの歌う「テルーの唄」を作品のいちばんの見どころに挙げる人も少なくありません。

理由3: 監督が決まるまでの経緯が、評価を厳しくした

3つ目は映画の中身ではなく、外側の話です。

宮崎駿監督は1980年代から『ゲド戦記』の映画化を望んでいましたが、当時ル=グウィンは首を縦に振りませんでした。話が動いたのは2003年ごろです。『となりのトトロ』などジブリの作品を観て気に入ったル=グウィンが、映画化を認めました。

ところが監督になったのは宮崎駿ではなく、息子の宮崎吾朗でした。三鷹の森ジブリ美術館の館長だった人で、映画の演出はこれが最初です。起用を進めたのはプロデューサーの鈴木敏夫で、宮崎駿本人は反対しました。

このことは、公式サイトに残っている監督日誌に本人の言葉で書かれています。2005年12月13日の最初の記事の題は「前口上 父は反対だった」です。吾朗監督はそこで、作品そのもので応えたい気持ちと、宮崎駿の息子ではなく一人の人間として知ってほしいという思いを書いています。作品のテーマにも、そこで触れています。

つまり公開前から、「宮崎駿の息子が、父の反対を押し切って、初めて監督をする」という物語が広く知られていました。観る側は、どうしても宮崎駿の映画と比べます。初監督の作品が、宮崎駿の映画と同じ基準で採点された。これが3つ目の理由です。

原作者ル=グウィンは何と言ったのか

2006年8月、アメリカでル=グウィンのために試写が開かれ、宮崎吾朗監督が同席しました。感想を求められたル=グウィンは、こう答えています。

It is not my book. It is your movie. It is a good movie.
(これは私の本ではない。あなたの映画です。良い映画です。)

その場ではこう言いましたが、のちに自分の公式サイトに、映画への最初の感想と題した文章を載せました。日本の読者から質問が来たことに答える形で、内容はかなり率直です。

主な不満は3つに整理できます。

不満ル=グウィンの言葉の趣旨
話が違う多くの部分がつじつまの合わないものに思えた。同じ名前の人物が、まったく別の気質と運命で別の話を演じている
悪の描き方悪が一人の悪役に押し込められ、その悪役を殺せばすべて解決するという筋になっている。自分の本は、そういう単純な答えを出していない
制作の進め方企画は宮崎駿の承認のもとで進むと聞いていたのに、実際には宮崎駿はまったく関わっていなかった。作業はそのあと非常に速く進んだ

特に悪の描き方について、ル=グウィンは「私たちの中の闇は、魔法の剣を振り回して消せるものではない」と書いています。原作では、影はゲド自身の一部で、倒すのではなく受け入れるものでした。映画ではクモという悪役が最後に倒されます。原作者から見れば、自分の本の芯を裏返したように映ったのでしょう。

一方で、褒めている点もあります。竜が翼をたたむ動き、動物たちの優しい描き方、畑仕事のような日々の労働の場面が持つ落ち着いた空気。絵については、良いところを具体的に挙げています。

文章の最後は、この映画のことは自分の後ろに置いておきたい、という意味の一文で締められています。

それでも評価されている点と、腑に落ちる見方

ここまで批判の理由を並べましたが、「観る価値がない」とまでは僕は思っていません。理由を分けてみると、見え方が変わる部分があるからです。

まず、3つの理由のうち2つは、映画の外側にあります。原作との違いと監督の経緯は、観る前に持ち込まれた期待の話です。原作を読んでいない人が「宮崎駿の映画」と思わずに観れば、3つのうち2つは最初から関係ありません。

そのうえで、この映画が描こうとしたものは、監督日誌に書かれたとおり「いま、まっとうに生きるとはどういうことか」です。父を刺してしまった少年が、自分の暴力と向き合い、命を大切にしろと言う少女に出会って、生きる側に戻ってくる。テルーの「命を大切にしない奴なんか、大嫌いだ」というせりふは、話の芯をそのまま言葉にしたものです。説明が足りない映画ですが、言いたいことは一つで、その一つは最後まではっきりしています。

観るときのおすすめは、アレンを「王子」ではなく「理由もなく自分を壊してしまった若者」として見ることです。父殺しの理由が語られないのは、本人にも分からないからで、そこはあえて空白にされています。そう受け取ると、影に追われる場面も、テルーに叱られる場面も、一人の若者が自分の暗い部分と折り合いをつける話として読めます。

もうひとつ知っておくとよいのが、監督のその後です。宮崎吾朗監督は2作目の『コクリコ坂から』(2011年)を経て、2026年7月からジブリパークで上映されている短編『魔女の谷の夜』を山下明彦監督と共に手がけています。『ゲド戦記』は、その出発点にある作品です。『魔女の谷の夜』が観られるのは「ジブリの大倉庫」の中なので、行くならどの券で入れるかをジブリパークのチケット7種類の違い|プレミアムは必要?で先に確かめておくと迷いません。粗さも含めて「初めての映画」として観ると、次の作品とのつながりが見えてきます。

まとめ

  • 『ゲド戦記』を「ひどい」「つまらない」と感じる人は多く、公開翌年には評論家の投票でワースト1位に選ばれた
  • 理由は3つ。原作と別の話になっていること、設定が説明されないまま進むこと、宮崎駿の息子の初監督という経緯で採点が厳しくなったこと
  • 原作者ル=グウィンは試写の場では「良い映画」と言い、のちに公式サイトで、話の違いと悪の描き方、宮崎駿が関わらなかったことへの不満を書いた
  • 描きたかったのは「まっとうに生きるとは何か」の一点で、そこは最後まで通っている。原作と宮崎駿の映画から切り離して観ると、腑に落ちる部分は増える

参考

  • 映画『ゲド戦記』監督日誌「前口上 父は反対だった」(2005年12月13日) — スタジオジブリ — https://www.ghibli.jp/ged_02/10maekoujyou/000112.html
  • Tales of Earthsea or Gedo Senki(原作者ル=グウィンの公式サイト) — https://www.ursulakleguin.com/adaptation-tales-of-earthsea
  • ゲド戦記 作品ページ — スタジオジブリ — https://www.ghibli.jp/works/ged/
  • 2006年のダメ映画はコレ!「文春きいちご賞」発表 — シネマトゥデイ(2007年1月22日) — https://www.cinematoday.jp/news/N0009821
  • ゲド戦記 (映画) — Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/ゲド戦記_(映画)

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