『となりのトトロ』のお父さん役に糸井重里が選ばれたのは、プロの声優の声だと「子どものことを全部分かっている父親」になってしまう、と宮崎駿監督が考えたからです。技術が足りない人を仕方なく使ったわけではありません。
糸井重里の本業はコピーライターで、この映画の宣伝コピーを書いた人でもあります。その宣伝の打ち合わせの席で起きたことが、そのまま起用の決め手になりました。
この記事では、監督がプロの声優を避けた理由を出典から追います。「棒読み」と言われる声が、なぜこの役に合っているのかも整理します。
お父さんの声を担当したのは誰?
サツキとメイの父・草壁タツオの声を担当したのは、糸井重里です。俳優でも声優でもなく、本業はコピーライター。『となりのトトロ』は1988年4月16日に、『火垂るの墓』との同時上映で公開されました。
この作品との関わりは声だけではありません。宣伝のキャッチコピー「このへんな生きものは まだ日本にいるのです。たぶん。」も糸井重里の仕事です。同時上映の2本に共通するコピー「忘れものを、届けにきました。」も手がけています。
つまり、声を担当する前から制作の現場にいた人でした。のちに『もののけ姫』のコピー「生きろ。」を書いたのも同じ人です。こちらはもののけ姫「生きろ」の意味は?でくわしく扱っています。
なぜプロの声優ではなかったのか
最初から糸井重里に決まっていたわけではありません。音響監督の斯波重治によれば、当初はプロの声優を使うつもりでオーディションも行われていました。
そのテープを聞いた宮崎監督の反応が、「やっぱり普通のお父さんになってしまいますね」というものでした。上手い下手の話ではなく、出てきた父親像が想定と違ったわけです。
監督自身は、『ジブリの教科書3 となりのトトロ』(文藝春秋)に収録された糸井重里との対談で、こう説明しています。
声優さんの声をいろいろ聞いてみたんですけど、みんな、あったかくてね、子どものことを全面的に理解している父親になりすぎちゃうんですよ
ここが核心です。プロの声優は、父親の役なら父親らしく、温かく包み込む声を作れます。その技術が正しく働いた結果、「子どもを全部分かっている理想の父親」が出来上がってしまいます。避けられたのは技術の低さではなく、その完成度のほうでした。
対談では、そこから先の判断も本人が明かしています。
これはどこか別のところから人を連れてこなくちゃいけないって話になりましてね。糸井さんがいいっていったのは、ぼくです
決め手になったのは何だったのか
なぜ糸井重里だったのか。その理由を本人が話したのは、2024年12月24日のTBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」でした。
糸井重里は当時、『となりのトトロ』と『火垂るの墓』の広告を担当していて、打ち合わせの場に自分の子どもを連れて行くことがありました。仕事の話の合間に、親子でぽつぽつ話す時間が生まれます。
それを見ていた宮崎監督の言葉を、糸井重里はこう再現しています。
だいたい父と子っていうのは、あれくらいのしゃべり方してんじゃないの?
芝居として作られた親子の会話ではなく、打ち合わせの片隅で交わされていた会話。監督が反応したのは、その飾らない話し方だったのでしょう。
本人に自信があったわけではありません。同じ番組で「できませんから。ホントのこと言って」と振り返っています。録音の最中には、交代の話まで出たそうです。本人は「推した派の宮崎さんと、疑念を持ってた鈴木さんの間で。『帰ってもらおうか』っていう」空気だったと明かしました。鈴木さんとはプロデューサーの鈴木敏夫です。
なお、この役の話は最初イッセー尾形のところに来ていました。イッセー尾形自身が後年、事務所の人が「糸井さんの方が適任なんじゃないか」と紹介したのだ、と語っています。どの話でも、候補は最初からプロの声優の外にありました。
「下手」「棒読み」と言われる声が、なぜ役に合うのか
公開から時間がたった今も、お父さんの声については「棒読みに聞こえる」という感想が出ます。声優の演技と並べれば、抑揚は明らかに少なめです。
ただ、作中のタツオがどういう父親かを思い出すと、見え方が変わります。家でも机に向かって資料と向き合っている時間が長く、娘たちの話を聞きながらも半分は仕事に気を取られている人。トトロに会ったとメイが言っても、否定も訂正もしません。
子どもの言うことを全部理解して、正しく導く父親ではありません。そばにいて、否定しないだけの父親です。そこに「子どものことを全面的に理解している」声を当てたら、人物が別物になります。
僕は、聞き取りやすさより先に「距離の近さ」が選ばれた起用だと読んでいます。少し上の空に聞こえることまで含めて、あの家の父親の声になっているでしょう。整えられていない声だからこそ、隣の部屋から聞こえてきそうに感じられます。
ほかの作品でも声優以外を使っているのか
同じ判断は、このあとの作品でも繰り返されます。
マグミクスに引用された『ジブリの教科書3』の発言では、監督は声優の技術そのものを否定していません。時間のない現場では「声優さんの器用さに頼ってる」と認めています。そのうえで「どっかで欲求不満になるときがある。存在感のなさみたいなところにね」と続けました。
この「存在感」という言葉は、のちの配役の話でも繰り返し出てきます。僕は、ここが専門の声優以外を選ぶときの物差しになっていると読んでいます。『風立ちぬ』で主人公の声に庵野秀明監督が選ばれたのも、同じ線の上にある起用でしょう。
俳優を中心に配役する形が目立ってくるのは、宮崎監督の作品では『もののけ姫』(1997年)以降とされています。トトロのお父さんは、それよりかなり早い時期の例です。1988年の時点ではまだ試みで、ここでうまくいったからこそ、あとの作品に引き継がれたのだと僕は考えています。
- ジブリ全体の方針はジブリはなぜ声優を使わない?
- 『風立ちぬ』の場合は風立ちぬの声はなぜ庵野秀明?
まとめ
- お父さん(草壁タツオ)の声は糸井重里。本業はコピーライターで、『となりのトトロ』の宣伝コピーも書いている
- 当初はプロの声優でオーディションが行われたが、宮崎駿監督は「やっぱり普通のお父さんになってしまいますね」と判断した
- 監督は対談で、声優の声だと「子どものことを全面的に理解している父親になりすぎちゃう」と語り、自分が糸井重里を指名したと明かしている
- 決め手は、広告の打ち合わせに糸井重里が連れてきた子どもとの会話。監督が「父と子っていうのは、あれくらいのしゃべり方」と受け取った
- 抑揚の少ない声は、娘の話を否定せず受け止めるだけの父親という役柄と合っている
お父さんが出てこない時間の長さから生まれた説については、トトロの都市伝説は本当?で検証しています。お母さんの病気についてはトトロのお母さんの病気は何?にまとめました。
スクリーンでジブリ作品を観たい人は、ジブリは今映画館でやってる?で上映の予定を確かめてください。
参考
- となりのトトロ 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/totoro/
- 『ジブリの教科書3 となりのトトロ』(文藝春秋)所収の宮崎駿の発言と、音響監督 斯波重治の証言(非公式ファンサイト「ジブリのせかい」に引用) — https://ghibli.jpn.org/report/voice/
- 糸井重里氏「となりのトトロ」で声優を務めた経緯告白(東スポWEB・2024年12月24日) — https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/328326
- なぜジブリ作品では「専業声優」以外を起用するのか(マグミクス・2022年4月29日) — https://magmix.jp/post/88241
- イッセー尾形さんと糸井重里の対談(ほぼ日刊イトイ新聞・2004年9月5日) — https://www.1101.com/teaforus/2004-09-05.html

コメント