『となりのトトロ』のお父さん、草壁タツオの職業は、考古学者です。東京の大学で非常勤講師として週に2回教え、家では翻訳の仕事をしながら論文を書いています。
ただ、映画の中で「お父さんは考古学者です」とはっきり説明する場面はありません。本に囲まれて原稿を書く姿から、小説家だと思って観ていた人もいるでしょう。実は、制作の初めのころの設定では、本当に作家(小説家)でした。
この記事では、映画のどこで職業が分かるのか、なぜいつも家にいるのかを整理します。作家から考古学者に変わった理由や、モデル・出身大学の説も扱います。
トトロのお父さんの職業は何?
答えは、大学で非常勤講師をしている考古学者です。非常勤講師は、大学に雇われて決まった授業だけを受け持つ先生のこと。毎日大学に通う教授とは違い、授業のある日だけ出かけていきます。
公開の年に出た絵コンテ集に載っている「準備稿」(映画づくりの途中で書かれた設定の下書き)では、お父さんはこう書かれています。
若い考古学者。大学で非常勤講師をやりながら、翻訳の仕事で生活している。
翻訳で生活費をまかなっている、という設定です。非常勤講師の収入だけでは暮らしが苦しかった、ということなのでしょう。設定上の年齢は32歳で、お母さんのヤス子とは学生のうちに結婚しています。
研究しているのは、縄文時代です。準備稿には、縄文時代に農耕があったという仮説を立証しようと、「革命的な新学説の大論文」を書いている最中だとあります。縄文時代の人々は木の実を集め、狩りをして暮らしていたというのが当時の一般的な見方でした。そこに「縄文の人たちも作物を育てていた」と唱えようとしているわけです。
| 仕事 | 内容 |
|---|---|
| 大学の非常勤講師 | 東京の大学で考古学を教える。出勤は週2回 |
| 翻訳 | 生活費を支えるための仕事 |
| 研究と論文の執筆 | 縄文時代に農耕があったことを示す大論文を書いている |
映画のどこで考古学者だと分かるのか
映画のセリフでいちばんはっきりしているのは、終盤の電話の場面です。病院から電報が届き、サツキは大学にいるお父さんに電話をかけます。絵コンテでは、このときのサツキのセリフが「もしもし考古学教室ですか。父を、あの草壁をお願いします」となっています。お父さんが大学の考古学の部屋にいることが、ここで分かります。
ほかの手がかりは、画面の中の小物です。書斎の本棚や机の上には、考古学の本が描き込まれています。
- 本棚に『縄紋土器』
- 机の上に『森と農耕』『考古学』
- 夏の場面の机の上に『纒向遺跡』『飛鳥』、開いている本は『古墳○○』
纒向遺跡(まきむくいせき)は奈良県にある遺跡で、飛鳥も奈良の古い都の名前です。縄文土器から奈良の古墳まで、日本の古い時代の本が書斎に集まっていることになります。
書斎の壁には、縄文土器の写真も飾られています。お父さんが外出のときにかぶっている布の帽子も、当時の考古学者が発掘のときによく使っていたものです。
ひとつひとつは小さな描き込みで、一度観ただけでは気づきにくいところです。それでも、本の題名と写真と帽子を合わせると、この人が縄文時代を研究している考古学者だと読めるように作られています。
なぜお父さんはいつも家にいるのか
映画のお父さんは、平日も家にいることが多い人です。メイが書斎の机に花を置きにくる場面でも、原稿に向かっています。普通の会社員なら、昼間に家にいることはありません。
理由は、仕事の形にあります。大学に行くのは週2回だけで、それ以外の日は書斎にこもって論文を書いています。翻訳も家でできる仕事です。昼間も家にいて、子どもたちの様子に目が届くのはそのためです。
この設定は、物語にも効いています。お母さんが入院している草壁家では、お父さんが家にいるからこそ、4歳のメイを家に置いておけます。逆に、お父さんが大学に出かける日は、メイを隣のおばあちゃんに預けることになります。お母さんの一時帰宅が延びたという電報が届いたのも、お父さんが大学にいる日でした。サツキが大学に電話をかけ、メイがひとりで病院へ向かう流れは、この「家にいない日」から始まっています。
最初は小説家の設定だったのは本当?
本当です。宮崎駿監督が1987年に書いた「演出覚書」(制作の初めに書いた、映画の方針のメモ)では、お父さんの仕事はこう書かれていました。
もの書きを職としている。一作目の成功で作家生活に入り、いま二作目の長編にとり組んでいる
つまり、最初のお父さんは、デビュー作が当たって作家になった人でした。この文章は、宮崎監督の文章を集めた『出発点』に収められています。
それが、のちの準備稿では考古学者に変わりました。書斎にこもって原稿を書くという姿はそのままに、書いているものが小説から論文に変わったことになります。映画を観て「小説家っぽい」と感じた人がいるのは、もともとの設定の名残りなのかもしれません。
変わった理由を読み解く手がかりは、宮崎監督の縄文時代への強い関心です。1984年の雑誌『平凡パンチ』の記事で、宮崎監督は考古学者の藤森栄一の本『かもしかみち』に感銘を受けたと語っています。トトロの寝床には縄文土器のような器があり、宮崎監督は『ロマンアルバム となりのトトロ』で、トトロも縄文人から縄文土器を習った、という話をしています。考古学者の櫻井準也さんは、宮崎監督が読んでいた藤森栄一や植物学者の中尾佐助の本の影響で、お父さんの仕事も作家から考古学者に変わったと考えています。
作家から考古学者に変わったことで、お父さんはトトロの話ともつながりました。縄文時代の暮らしを調べている人だからこそ、森の古い木や不思議な生き物の話を、子どもの作り話として片づけない。メイがトトロに会ったと言ったとき、お父さんは「森の主」に会ったのだと受け止め、家族で塚森の大きなクスノキにあいさつに行くのも、この人らしい振る舞いです。
お父さんにモデルはいるのか
一人のモデルがいる、とは言えません。考古学の研究者の間では何人かの名前が挙がっていて、中心にいるのが藤森栄一です。
藤森栄一は長野県の諏訪で研究を続けた考古学者で、縄文時代の中ごろに農耕があったという「縄文農耕論」を唱えた人です。お父さんの「縄文時代に農耕があったという仮説を立証しよう」という設定と、そのまま重なります。宮崎監督が藤森の本を好きだったことも、先ほどの雑誌記事で分かっています。宮崎作品の研究者の叶精二さんも、藤森の影響を反映した設定と思われる、と書いています。
ただ、藤森は明治の終わりの生まれで、32歳のお父さんとは世代が合いません。そのため、森本六爾や、藤森の教えを受けた戸沢充則といった考古学者の名前も候補に挙がっています。櫻井さんの結論は、特定の一人ではなく、藤森を中心に何人かが重なってできた人物だというものです。
僕もこの見方に納得しています。縄文農耕にかける熱は藤森、32歳で非常勤講師という立場は同じ時代の若い研究者、と分けて見ると、お父さんの人物像がつかみやすくなります。
お父さんの出身大学は北海道大学なのか
これは、はっきりしません。北大出身という説はありますが、映画の中で出身大学が語られることはありません。
説のもとになっているのは、小説版『となりのトトロ』(宮崎駿原作・久保つぎこ文)の一場面です。お母さんの見舞いからの帰り道、お父さんが北海道大学の寮歌「都ぞ弥生」を歌います。しかも、歌詞を少し変えて歌っています。映画にはない場面です。
北海道大学のサイト「いいね!Hokudai」は、この場面を取り上げ、お父さんが北大出身の可能性に触れています。ただし結論は出していません。当時は大学どうしで寮の交流があり、北大生でなくても寮歌を知っていておかしくないからです。
小説版のこの場面からは、寮歌を替え歌にしてしまう、ちょっとおどけたお父さんの姿が見えてきます。どこの大学を出たかより、そちらのほうがお父さんらしさをよく表しています。
まとめ
- トトロのお父さん・草壁タツオの職業は、大学で非常勤講師をしている考古学者。翻訳で生活を支えながら、縄文時代に農耕があったことを示す大論文を書いている
- 映画では、サツキが電話で呼び出す「考古学教室」や、書斎の考古学の本で分かる
- 大学に行くのは週2回で、ほかの日は書斎にこもっているから、いつも家にいる
- 1987年の演出覚書では作家の設定で、のちに考古学者に変わった
- モデルは藤森栄一を中心に何人かが重なった人物とされ、出身大学ははっきりしない
お父さんの声についてはトトロのお父さんの声はなぜ糸井重里?で、お母さんの病気についてはトトロのお母さんの病気は何?で整理しています。
草壁家の住まいは、愛知県のジブリパークの「どんどこ森」に「サツキとメイの家」として建てられています。入るには券の選び方に注意が要るので、違いをジブリパークのチケット7種類の違いにまとめています。
参考
- 櫻井準也「『となりのトトロ』と考古学」 — 尚美学園大学総合政策研究紀要 第34号(2019年9月) — https://shobi-u.repo.nii.ac.jp/record/686/files/sougoukiyo34_04Sakurai.pdf
- 『小説 となりのトトロ』父さんの歌う「みやこぞやよい」 — いいね!Hokudai(北海道大学) — https://costep.open-ed.hokudai.ac.jp/like_hokudai/?p=32022

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