宮崎駿と息子の吾朗はなぜ確執と言われる?父の反対と「0点」の意味

宮崎駿と息子の宮崎吾朗の関係が「確執」と言われるのは、『ゲド戦記』の監督に父が強く反対したことを、吾朗監督自身が公の場で書いたからです。同じ場所で吾朗監督は、父を「父としては0点、監督としては満点」とも評しました。

親子のいざこざを周りが噂したのではありません。本人が監督日誌に書き、プロデューサーの鈴木敏夫が反対の場面をインタビューで明かしました。その後の共作ではぶつかり合う姿がテレビで放送され、「確執」のイメージが広まりました。

この記事では、父がなぜ反対したのか、「0点」は何を指していたのかを、本人たちの言葉で追います。『コクリコ坂から』での共作と、ジブリパークでの変化も整理します。

宮崎吾朗はどんな人なのか

宮崎吾朗は1967年生まれ、宮崎駿の長男です。最初からアニメの道に進んだわけではありません。信州大学の農学部森林工学科を出たあと、公園や緑地を設計する会社で建設コンサルタントとして働いていました。

1998年にスタジオジブリへ移り、三鷹の森ジブリ美術館の総合デザインを手がけます。美術館が開いたあとは、2001年10月から2005年6月まで初代館長を務めました。

アニメの監督としての出発は、30代の終わりに手がけた『ゲド戦記』(2006年)です。その後『コクリコ坂から』(2011年)、『アーヤと魔女』(2020年)を監督し、ジブリパークでは製作の指揮をとりました。

つまり、父と同じ仕事を若いころから目指した人ではありません。別の仕事で経験を積み、40歳近くになってから父と同じアニメの世界に入ってきたのです。吾朗監督は監督を引き受けた理由の一つに、「父との関係もありこれまで長く気づかないふりをしてきたアニメーションへの想い」を挙げています。

なぜ「確執」と言われるのか

きっかけは『ゲド戦記』です。吾朗監督は、公開の半年以上前の2005年12月13日、スタジオジブリの公式サイトで監督日誌を始めました。その最初の記事の題が「前口上 父は反対だった」。書き出しはこうです。

父・宮崎駿は、私が『ゲド戦記』を監督することに反対でした。

新作の宣伝が始まる時期に、監督本人が最初に「父は反対だった」と明かしたわけです。異例の始まり方でした。

吾朗監督は同じ記事で、なぜこれを書くのかも説明しています。宣伝が始まれば、どうしても「宮崎駿の息子」という形容がつく。そこで鈴木プロデューサーが出した結論が、「『宮崎駿の息子』ではなく一人の人間としての宮崎吾朗を知ってもらうべきだ」というものでした。

反対を隠すのではなく、先に明かして作品で勝負する。その方針が、結果として「父と息子の対立」という物語を広く知らせることになりました。

宮崎駿は何と言って反対したのか

反対の中身は、鈴木プロデューサーが2005年末に公開されたインタビューで具体的に語っています。吾朗を監督にすると伝えに行ったとき、宮崎駿は「鈴木さんはどうかしている」と怒り出したそうです。

あいつに監督ができるわけがないだろう。絵だって描けるはずがないし、もっと言えば、何も分かっていないやつなんだ

ところが、話はここで終わりません。鈴木プロデューサーは事前に吾朗監督に、竜とアレンが向き合う絵を描かせていました。しかも「親父が描かないアングル」を指定したうえで。その絵を見せると、宮崎駿は黙ってしまったといいます。鈴木プロデューサーは「進めますよ」と告げ、企画はそのまま進みました。

父の言葉が向いているのは、監督ができるか、絵が描けるかという仕事の力量です。反対した父が一枚の絵を見て黙ったという話も、同じ点を見ていたことをうかがわせます。

僕は、この反対を「息子だから止めた」というより、「監督という仕事の重さを知る人が、経験のない人に任せることを止めた」と読んでいます。ただし父の内心は本人が詳しく語っておらず、ここは断定できません。

「父としては0点、監督としては満点」はどういう意味か

監督日誌の第三十九回(2006年2月22日)で、吾朗監督は父をこう評しました。

私にとっての宮崎駿は、「父としては0点、監督としては満点」です。

この一文だけを読むと、強い批判に聞こえます。けれど、日誌の続きを読むと中身はかなり具体的です。

父はほとんど家にいなかった。毎日、吾朗監督が寝たあとに帰ってきて、朝はまだ寝ていた。土日も関係なく仕事をしていたので、物心ついてから口をきく機会はほとんどなかった。家事も子どもの世話も一切せず、アニメーターだった母は子育てのために仕事を辞めざるをえなかった。日誌にはそう書かれています。

一方で、どんなに遅くなっても一度は家に帰ってきたことを「律儀」とも書いています。小学生のころは、登校前に父がいるかどうか寝室をのぞきに行ったそうです。

日誌の中身を読むと、「0点」は父を嫌うという宣言より、家にいない父を見て育った記録に近いもの。しかも同じ一文の後半では、仕事の上で「満点」と認めています。前半だけを切り取ると、この言葉は確執の証拠のように見えてしまいます。

『コクリコ坂から』で2人は何を分担したのか

2人が同じ作品に名前を並べたのが、2011年7月公開の『コクリコ坂から』です。宮﨑駿(宮崎駿)が企画と脚本を担当し、吾朗監督が監督を務めました。父が物語の骨組みを書き、息子がそれを映画にするという分担です。

この制作の日々を追ったのが、NHKのドキュメンタリー『ふたり コクリコ坂・父と子の300日戦争〜宮崎駿×宮崎吾朗〜』でした。題名に「戦争」とあるとおり、父と子が仕事の上でぶつかる姿が放送されています。「確執」という見方がいっそう広まったのは、この番組の影響もあったと考えられます。

それでも作品は完成し、翌年の第35回日本アカデミー賞で最優秀アニメーション作品賞を受けました。『ゲド戦記』では反対した父が、今度は脚本を書いて息子の監督作に加わっています。衝突を抱えながらも、2人で一本の映画を仕上げたことになります。

ジブリパークで2人の関係はどう変わったのか

公の場で分かっている一番新しい出来事は、2022年11月に開園したジブリパークでのものです。吾朗監督は2017年ごろから、この公園づくりの製作を指揮してきました。

開園前日の記念式典で、鈴木プロデューサーは一つの出来事を明かしました。日本経済新聞の記事の見出しは「人を褒めない宮崎駿監督が褒めた」。宮崎駿が鈴木プロデューサーと秘密裏にパークを訪ね、息子が指揮した仕事を見て「いたく喜んだ」というものです。

『ゲド戦記』のときに「何も分かっていないやつ」と言った父が、17年後には息子の仕事を喜んでいます。少なくとも仕事の上での評価は、はっきり変わっています。

吾朗監督が製作を指揮したジブリパークがどんな場所で、どの券で何が見られるのかはジブリパークのチケット7種類の違い|プレミアムは必要?にまとめています。

「確執」という言葉をどう受け取ればよいか

公に語られてきた衝突は、監督を任せるかどうか、作品をどう作るかという仕事の場のものです。家庭について吾朗監督が書いたのは、子どものころ父がほとんど家にいなかったという事実でした。

今の親子仲について、2人とも公の場では詳しく語っていません。そこを「仲が悪い」「絶縁している」と決めつける根拠はありません。

僕は、この親子の関係を「確執」の一言でまとめると、大事なところがこぼれると考えています。家庭では不在だった父を、息子は監督として満点と評しました。反対した父は、17年後に息子の仕事を喜んでいます。ぶつかり合いと認め合いが、同じ時間の中に並んでいるからです。

『ゲド戦記』がなぜ厳しく評価されたのかは、ゲド戦記はなぜひどいと言われる?で扱っています。吾朗監督の3作目についてはアーヤと魔女はなぜひどいと言われる?にまとめました。

まとめ

  • 「確執」と言われるのは、『ゲド戦記』の監督に父が反対したことを、吾朗監督自身が監督日誌の最初の記事で明かしたから
  • 宮崎駿は「あいつに監督ができるわけがないだろう」と反対したが、吾朗監督の描いた絵を見せられて黙った、と鈴木敏夫が語っている
  • 「父としては0点、監督としては満点」は、家にいなかった父への事実の記録と、監督としての尊敬を並べた言葉
  • 『コクリコ坂から』では父が企画・脚本、息子が監督を務め、ぶつかりながら完成させた
  • ジブリパークでは、宮崎駿が息子の仕事を見て「いたく喜んだ」と鈴木敏夫が明かしている

参考

  • 映画『ゲド戦記』監督日誌「前口上 父は反対だった」(スタジオジブリ・2005年12月13日) — https://www.ghibli.jp/ged_02/10maekoujyou/000112.html
  • 映画『ゲド戦記』監督日誌 第三十九回「父としては0点、監督としては満点」(スタジオジブリ・2006年2月22日) — https://www.ghibli.jp/ged_02/20director/000314.html
  • 世界一早い「ゲド戦記」インタビュー(完全版)(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/storage/000283/
  • コクリコ坂から 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/kokurikozaka/
  • ジブリパーク「人を褒めない宮崎駿監督が褒めた」(日本経済新聞・2022年10月31日) — https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFD313880R31C22A0000000/

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