アーヤと魔女はなぜひどいと言われる?途中で終わる形は原作から

『アーヤと魔女』は「ひどい」「評価が低い」と言われがちですが、そう感じるのは気のせいではありません。理由は大きく3つあります。手描きを使わずに全編をコンピューターで立体的に作ったこと、物語が途中で切れたように見えること、もともとテレビ向けに作られた作品だったことです。

このうち「途中で終わった」という感じ方には、原作の側にも事情があります。謎を残したまま幕を下ろす形そのものが、原作の児童書から受け継いだものだからです。

この記事では、厳しい評価が集まる理由を3つに分けて整理します。そのうえで、原作を知ると結末の見え方がどう変わるのかを説明します。評価されている点と、どう観ると腑に落ちるかにも触れました。

本当に評価は低いのか

数字にも出ています。興行収入は3億円で、スタジオジブリの長編としてはかなり低い部類です。

よく挙がるのは「ジブリっぽくない」「話が終わっていない」という声です。前者は絵の話、後者は結末の話で、不満の出どころが別々なのが、この作品のややこしいところです。

厳しい声が集まりやすい条件も重なっていました。ジブリの長編という看板、宮崎駿監督が企画に名を連ねているという情報、そこへ初めての全編3DCGが重なりました。期待の形が人によってばらばらな状態で公開されています。

理由1: ジブリ初のフル3DCGで見た目が変わった

『アーヤと魔女』は、スタジオジブリにとって初めての長編フル3DCG作品です。手描きの絵を重ねるのではなく、全編をコンピューターの中で立体的に作る方法で作られています。

手描きの線が消えたぶん、キャラクターの表情の付き方も、光や影の出方も、これまでのジブリ作品とは別物になりました。慣れた目で見ると、顔つきが硬く感じられます。暗い場面が見づらいという声もあります。

宮崎吾朗監督は、3DCGを思いつきで選んだわけではありません。シネマトゥデイのインタビューで、以前から3DCGで作る作品を構想していた、と語っています。原作が先にあって作り方を後から決めたのではなく、作り方のほうが先にあったわけです。

とはいえ、観る側にその事情は関係ありません。ジブリの新作として画面に向かえば、比べる相手は『千と千尋の神隠し』や『もののけ姫』になります。この落差が、最初の壁です。

理由2: 途中で終わったように感じる

終わり方への不満は、とりわけ目立ちます。

アーヤは魔女ベラ・ヤーガの家に引き取られ、こき使われながら魔法を覚えます。同居しているマンドレークは、正体の知れない魔法使いです。そして、アーヤを孤児院に預けた母親が何者なのかという謎が、冒頭から置かれています。

その謎には、映画の中で答えが出ます。母親がバンド「EARWIG」のボーカルで、マンドレークとベラ・ヤーガは同じバンドの仲間だった。回想でそう示されたあと、最後には母親本人が家を訪ねてきます。アーヤの周りにいた大人は、みな昔からつながっていたわけです。

それでも終わっていないように感じるのは、そこから先が描かれないからでしょう。母親はなぜ12人の魔女に追われていたのか、追っ手を振り切った4人はこのあとどうなるのか。いちばん大きな話が動き出しそうな場面で、映画は幕を下ろします。

続きものの1話目を観たような気持ちになるのは、そのためです。

理由3: もともとテレビ向けに作られた

成り立ちを知ると、短さの理由も見えてきます。

『アーヤと魔女』が最初に世に出たのは、2020年12月30日、NHK総合テレビでの放送でした。製作にはNHKとNHKエンタープライズが加わっています。劇場公開はそのあとで、当初は2021年4月29日の予定が、新型コロナウイルスの影響で8月27日に延びました。

つまり、映画館にかける前提だけで設計された作品ではありません。テレビで一晩のうちに観終えられる長さとして組まれたものが、のちに劇場へ回ったという順番です。

劇場のスクリーンとテレビでは、観る側の身構え方が違います。お金と時間をかけて席に着いた人は、それに見合う重さを期待するでしょう。同じ作品でも、置かれる場所が変わると評価は厳しくなります。

原作を読むと結末の見え方が変わる

原作は、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの同名の児童書です。日本語版は徳間書店から出ていて、本文は128ページ。長編というより、短い物語に近い分量です。

この本は、ジョーンズが亡くなったあとに「ファンタジーの女王」の遺作として紹介されました。続きが書かれることはありません。映画の続編についても、スタジオジブリからの発表はありません。残った謎が後から回収される見込みは、今のところないということになります。

そして肝心なところですが、原作もまた、アーヤが家の中の主導権を握ったところで大筋を閉じます。伏線は残ったままです。母親の正体にいたっては、原作では最後まで明かされません。

謎を残して終わる形は、原作から引き継いだものです。「映画が終わらせなかった」と「原作がもともとそういう本だった」では、同じ物足りなさでも受け取り方がまるで違うはずです。

宮崎吾朗監督は、原作の扱いについてこう話しています。

あまりに原作に忠実だと限られた物語になるので、少し世界を膨らませたかったんです

実際、映画には原作にない要素が足されています。母親の正体と、最後に母親が訪ねてくる場面がそれです。原作より一歩先まで描いたうえで、それでも全部は説明しない。この加減に、原作の手触りを残そうとした構えが出ていると僕は読んでいます。

それでも評価されている点

公開の前に、この作品は第73回カンヌ国際映画祭の公式セレクション(その年の上映作品として選ばれる枠)に入っています。スタジオジブリが公式サイトで告知した事実です。国内での評判が厳しい一方、公開前の時点では国際映画祭に選ばれる作品として扱われていました。

主人公の描き方も、狙ってあの形にしてあります。宮崎吾朗監督は、原作のアーヤがあまり「いい子」ではないところが魅力で、ジブリっぽく変えることは避けた、と語っています。

言われてみると、泣いて助けを求めたり、反省して生まれ変わったりする主人公ではありません。魔女に働かされれば、働かされたまま相手の弱みを探して交渉に持ち込みます。困難を通して優しくなる主人公ではなく、最初から最後まで自分のやり方で場を動かす子どもです。ジブリの主人公として見ると異物ですが、原作の主人公としては筋が通っています。

どう観ると腑に落ちるか

「成長する主人公の物語」を期待して観ると、この作品は何も起きないように見えます。困難にぶつかって泣き、何かを学んで変わる。その筋が一度も通らないからです。

見方を「手強い子どもが新しい家を自分のものにする話」に切り替えると、景色が変わります。アーヤは着いた日から家の構造を観察し、猫を味方につけ、魔女の弱みを見つけて交渉に持ち込む。約82分のあいだに、起きるべきことは起きています。

続きがないことも、そう思えば収まりがつきます。この映画が描いたのは、アーヤが自分の居場所を作るまで。母親の事情や魔女たちの因縁は、その外側にある話です。

ジブリ作品が自分に合わないと感じたときの考え方は、ジブリの良さがわからないのは自分だけ?にもまとめました。

まとめ

  • 『アーヤと魔女』が厳しく言われる理由は、ジブリ初のフル3DCGによる見た目の変化、途中で切れたように見える結末、テレビ向けに作られた成り立ちの3つ
  • 3DCGは思いつきではなく、宮崎吾朗監督が以前から構想していた作り方に合う原作として『アーヤと魔女』が選ばれている
  • 最初の公開は2020年12月30日のNHK総合テレビ。劇場公開は2021年8月27日で、映画館だけを前提にした作品ではない
  • 母親の正体は映画では示され、最後に本人も現れる。原作は128ページの児童書で、こちらは正体を明かさないまま伏線を残して終わる
  • 第73回カンヌ国際映画祭の公式セレクションには選ばれている。アーヤが「いい子」でないのは、原作の魅力を残すための選択

同じく宮崎吾朗監督の作品で評価が割れた『ゲド戦記』については、ゲド戦記はなぜひどいと言われる?で扱っています。終わり方の物足りなさが理由になる例としては、借りぐらしのアリエッティはつまらない?も近い形です。

スクリーンでジブリ作品を観たい人は、ジブリは今映画館でやってる?で上映の予定を確かめてください。

参考

  • アーヤと魔女 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/aya/
  • 『アーヤと魔女』宮崎吾朗監督 単独インタビュー(シネマトゥデイ・2021年9月2日) — https://www.cinematoday.jp/interview/A0008033
  • アーヤと魔女(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作、田中薫子訳、徳間書店) — https://www.tokuma.jp/book/b503211.html
  • Earwig and the Witch 書評(Bookreporter) — https://www.bookreporter.com/reviews/earwig-and-the-witch
  • アーヤと魔女 — Wikipedia(フル3DCG、放送日と公開日、製作、興行収入) — https://ja.wikipedia.org/wiki/アーヤと魔女

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