『火垂るの墓』の西宮のおばさんは、映画の中で悪人としては描かれていません。清太と節子を家に入れ、最初は普通に暮らしています。意地悪に見えるのは、食べ物が減るにつれて言葉がとがり、食事に差をつけるようになるからです。
子どものころに観て「なんて意地悪な人だ」と感じた人は多いはずです。ところが大人になって観直すと、おばさんの言い分にもうなずけてしまいます。この映画では、そんなふうに見え方が変わる人が少なくありません。
この記事では、おばさんが意地悪だと言われる場面を確かめたうえで、なぜ態度が変わったのか、なぜ「悪くない」と言われるのかを整理します。最後に、高畑勲監督がおばさんと清太をどう見ていたのかも紹介します。
おばさんは悪い人なのか
善人とも悪人とも言い切れない、ごく普通の大人として描かれています。
おばさんは、清太の家の遠い親戚です。神戸の家が空襲で焼けたら身を寄せる、という約束があったとされ、清太と節子はその約束を頼って西宮に来ました。おばさんは二人を受け入れ、しばらくは何事もなく暮らしています。
態度が変わるのは、そのあとです。とがった言葉は増えますが、清太たちを家から追い出す言葉は一度も言っていません。清太が自分から家を出ると告げたとき、おばさんは「気ぃつけてな」と送り出しました。引き止めはしませんが、追い出してもいません。この中途半端さが、観る人によって評価が割れる理由です。
清太が家を出た理由と、母の貯金があっても飢えた仕組みは、火垂るの墓の清太はなぜおばさんの家を出た?で清太の側から整理しています。この記事は、おばさんの側から見ます。
意地悪と言われるのはどの場面か
意地悪だと言われる場面は、大きく6つあります。
| 場面 | おばさんがしたこと |
|---|---|
| 母の着物 | 清太の母の形見の着物を、米と換えようと勧める。節子は泣いて嫌がる |
| 雑炊の盛り分け | 自分の娘と下宿人の器にはまともに盛り、清太と節子にはほとんど汁だけ |
| 弁当のひとこと | 「お国のために働いてる人らの弁当と、一日中ぶらぶらしてるあんたらと何で同じや思うの」 |
| オルガン | オルガンを弾いて歌う二人をとがめる |
| 母の死 | 清太が節子に隠していた母の死を、節子に話してしまう |
| 防空壕 | 空襲のたびに逃げる二人に「ほんまに、えらい疫病神が舞い込んで来たもんや」「そんなに命惜しいねんやったら、横穴に住んどったらええのに」 |
並べると、半分は食べ物と働くことに関わる場面です。オルガンや防空壕のひとことも、働かずに家にいる二人へのいら立ちから出た言葉と見ることができます。母の死を話した場面は、悪気があったのかどうか作中では描かれていません。
それでも、雑炊の場面はかばいにくいでしょう。目の前で子どもの器に汁だけを入れる姿は、理由があっても冷たく映ります。おばさんの娘が居心地の悪そうな顔をしているのも、観る側の気持ちと重なります。
最初は優しかったのに、なぜ変わったのか
食べ物が足りなくなったからです。
当時の米は「配給」でした。通帳は家ごとに1冊で、量は年齢などで一人ずつ決まっていました。おばさんの家には、自分の娘と下宿人がいます。そこへ清太と節子が加わり、食べる口が増えました。配給は少しずつ減っていき、母の着物を米に換えても、それで足りるわけではありません。
おばさんの目から見ると、清太は14歳です。通っていた中学も、勤労動員(工場などで働かされること)の先の工場も空襲で焼け、清太は毎日を家で過ごしています。下宿人は、お国のための奉仕に熱心に出ています。そんな中で「働く人と同じ弁当を食べるのはおかしい」という理屈が出てくるのは、自然な流れです。
高畑勲監督は後に、この映画をこう説明しています。
人は悲惨な目に遭うと人情というものが働かなくなるということを伝える話だ
2015年の神奈川新聞のインタビューでの言葉です。おばさんは、もともと冷たい人だったわけではありません。戦争が長引き、自分の家族を食べさせるのが精一杯になって、他人の子にまで気持ちを向ける余裕がなくなっていきました。映画が描いているのは、その変わり方です。
おばさんは悪くないと言われるのはなぜか
清太の側にも、選べる道があったからです。
清太が家を出て横穴で暮らし始めてから、節子は弱っていきます。食べ物を分けてもらおうと頼んだ農家の男性は、清太に「おばさんの家に戻ったほうがいい」と勧めました。頭を下げて戻るという道は、最後まで残っていたことになります。
美術監督を務めた山本二三さんは、制作が始まるころの高畑監督の言葉を覚えています。
これは映画になりません。清太と節子は死ぬはずがないのです
二人には頼れる親戚がいるのだから、そう簡単に飢え死にはしない、という意味でした(週刊現代、2022年)。この回想どおりなら、監督は親戚の家にいれば生き延びられたはずだと見ていたことになります。
この見方に立つと、おばさんの言葉は意地悪というより、口うるさい大人の正論に聞こえてきます。
- 居候なら、家のことを手伝うのが当たり前
- 14歳の清太は、当時ならもう働き手に数えられる年
- 自分の子どもを先に食べさせるのは、親として自然
ただし、だからおばさんが正しかったとも言えません。4歳の節子に罪はありませんし、雑炊の盛り方は大人のふるまいとしてやはり冷たく映ります。僕は、どちらか一方を悪者にしないところに、この映画の厳しさがあると考えています。
高畑勲監督はおばさんと清太をどう見ていたのか
監督は、観客が清太に同情しやすいのは時代のせいだ、と語っていました。公開当時の『アニメージュ』1988年5月号のインタビューです。
監督によると、当時は社会全体が個人を押さえつける時代でした。清太はそれに逆らい、節子と2人だけの家族を作ろうとして失敗します。今の観客が清太に心を寄せるのは、時代の考え方が逆になったからだ、というのです。そのうえで監督は、こう続けています。いつかまた時代が逆転したら、おばさん以上に清太を責める声が多数になるかもしれない。それがおそろしい、と。
劇場パンフレットの文章でも、監督は清太を、わずらわしい人間関係を嫌う今の若者や子どもに重ねています。清太の側から見た監督の文章は、清太の記事で詳しく紹介しました。
監督の言葉を読むかぎり、おばさんは悪役ではなく、あの時代の「普通」の側に立つ人として置かれています。観る人がおばさんと清太のどちらを責めるかで、その人がどの時代の目で観ているかが分かる。監督の言葉からは、そういう仕掛けが読み取れます。
原作のおばさんは映画とどう違うのか
原作は、野坂昭如の短い小説『火垂るの墓』です。原作の「小母さん」は夫を亡くした未亡人で、映画よりも性格がきつく、二人につらく当たる人物として書かれています。
映画のおばさんは、その角が少し取られています。娘が節子に下駄をあげる場面や、下宿人が二人を気の毒がる様子も描かれ、おばさんの家がただの冷たい家にはなっていません。おばさんを悪者にしすぎない描き方だと、僕は受け取っています。
野坂自身も、戦争の終わりに妹を連れて西宮の親類の家に身を寄せた一人。ただ、実際に世話になった叔母は、映画のように態度が悪くなってはいなかったとされています。妹を亡くした経緯も小説とは違い、映画の清太とおばさんの関係は、実際の出来事をそのまま描いたものではないと考えられます。
まとめ
- 西宮のおばさんは、映画では悪人として描かれていない。最初は二人を受け入れ、追い出す言葉も言っていない
- 意地悪に見えるのは、食べ物が減るにつれて言葉がとがり、食事に差をつけるようになるから
- 「悪くない」と言われるのは、居候の清太が働かず、戻る道もあったのに戻らなかったから
- 高畑勲監督は「人は悲惨な目に遭うと人情というものが働かなくなる」話だと語り、観客が清太とおばさんのどちらを責めるかは時代で変わると考えていた
節子の年齢や亡くなった理由は火垂るの墓の節子は何歳?で整理しています。ジブリ作品を映画館で観たい人は、ジブリは今映画館でやってる?で上映の予定を確かめられます。
参考
- 火垂るの墓 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/hotarunohaka/
- 火垂るの墓 — Wikipedia — https://ja.wikipedia.org/wiki/火垂るの墓
- 時代の正体〈47〉過ち繰り返さぬために(神奈川新聞・2015年1月1日) — https://www.kanaloco.jp/news/social/entry-55048.html
- 清太の破滅は「自己責任」だったのか…『火垂るの墓』で高畑勲監督が本当に伝えたかったこと(週刊現代・2022年8月26日) — https://gendai.media/articles/-/98900?page=2
- 高畑勲監督の劇場パンフレットの文章(ジブリのせかい) — https://ghibli.jpn.org/report/hotaru-2/

コメント