平成狸合戦ぽんぽこの最後の意味は?宝船とぽん吉のセリフを読む

『平成狸合戦ぽんぽこ』の最後で、ぽん吉(ポン吉)は観ている人に、開発で消えた動物を「姿を消した」と言わないでほしいと訴えます。化けられないウサギやイタチは、自分で姿を消すことなどできないからです。

ただ、この映画の結末はセリフひとつでは終わりません。狸たちの行き先は3つに分かれました。宝船に乗って海へ向かった狸、機動隊に立ち向かった権太たち、そして人間に化けて暮らすことを選んだ正吉たち。もうひとつ引っかかりやすいのが、明るい歌と踊りで描かれた宝船の場面です。

この記事では、最後に何が起きたのかを順に整理し、宝船の場面とぽん吉のセリフの意味、高畑勲監督が描こうとしたものを考えます。

最後はどういう終わり方だったのか

狸たちは多摩の丘陵を守れませんでした。人間を驚かせて開発を止めようとした作戦は失敗し、仲間は散り散りになります。

いちばん大きな作戦だった「妖怪大作戦」では、四国から来た長老のひとり、隠神刑部が力を使い果たして命を落としました。しかも人間には、化け学(狸が化ける術)がただの見世物にしか見えません。近くの遊園地「ワンダーランド」が、自分たちの宣伝のための演出だったと名乗り出てしまいます。狸たちが命がけで起こした騒ぎは、そのまま人間の商売に使われました。

作戦が失敗したあと、狸たちの道は分かれます。

選んだ道誰がどうなったか
死出の旅太三朗禿狸と、それに従った狸たち宝船に化けて多摩川から海へ向かい、戻らなかった
最後まで戦う権太と、戦い続けることを選んだ狸たち工事現場で機動隊と戦い、命を落とした
人間として暮らす化け学を使える正吉たち人間に化けて会社や町で働く

化けられない狸たちは、散り散りになりました。そして最後の場面。サラリーマンになった正吉が、夜のゴルフ場で昔の仲間のぽん吉たちと再会し、狸の姿に戻って喜び合います。そこでぽん吉が、画面のこちら側に向かって話しかけて映画は終わります。

宝船の場面では何が起きたのか

宝船の場面は、集団での死出の旅です。明るい場面に見えますが、乗った狸たちの行き着く先は死でした。

中心にいたのは、屋島から来た長老の太三朗禿狸です。妖怪大作戦が失敗したあと、禿狸は念仏を唱えながら踊る「踊念仏」を始め、戦う気力をなくした狸たちがその輪に加わります。やがて禿狸は宝船に化け、狸たちを乗せて多摩川へこぎ出しました。

この場面の下敷きになっているのが「補陀落渡海」です。南の海の向こうにあるとされた観音の浄土、補陀落を目指して船で海に出る、昔の日本の捨て身の行でした。熊野の那智などから船出したと伝わっています。

映画の中では「死出の旅」という言葉ではっきり語られます。にぎやかな音楽と、七福神のような宝船の姿。その明るさの中で、実際には多くの狸が命を手放します。観た後に「あれは何だったのか」と引っかかるのは、見た目と中身がこれほど食い違っているからです。

宝船は何を意味しているのか

宝船の場面は、戦うことも化けることもできなかった狸たちの終わり方を描いたものだと僕は読んでいます。

権太たちは力で抵抗し、正吉たちは化けて人間の中に紛れました。けれど、どちらもできない狸は大勢います。年を取った狸、化け学が得意でない狸、疲れ切った狸。その狸たちが最後に選んだのが、信じるものにすがって海へ出ることでした。

明るく描かれていることにも意味があると考えています。本人たちにとっては、苦しみから救われる旅だったからです。観ている側だけが、それが死だと分かっています。そのずれが、あの場面を忘れにくいものにしています。

死出の旅であることは語りで示されますが、狸たちがなぜそれを選んだのか、作中で理由は説明されません。

ぽん吉は最後に何を言ったのか

ぽん吉が異を唱えるのは、「開発でキツネやタヌキが姿を消した」という、よく聞く言い方です。ぽん吉はこう続けます。

そりゃ確かにキツネやタヌキは化けて姿を消せるのもいるけど、でも、ウサギやイタチはどうなんですか?自分で姿を消せます?

「姿を消した」と言うと、動物が自分の意思でどこかへ行ったように聞こえます。けれど実際には、住む森を削られ、追い出され、死んでいきました。狸は化けられるから、まだ「姿を消した」と言えなくもありません。ウサギやイタチには、それすらできないのです。

つまりこのセリフは、言葉の選び方で起きていることが見えなくなる、という指摘です。「姿を消した」の一言は、人間の側の責任をぼかしてしまいます。

最後にぽん吉が画面のこちら側を向くのは、物語の中の出来事で終わらせず、観ている人の暮らしに話をつなげるためです。

高畑勲監督は何を描きたかったのか

高畑勲監督は公開当時のインタビューで、この作品を「記録映画だと思っている」と語っています(「『平成狸合戦ぽんぽこ』の演出を語る」、文藝春秋『ジブリの教科書8 総天然色漫画映画 平成狸合戦ぽんぽこ』所収)。

記録映画という言葉を手がかりにすると、結末の見え方が変わります。この映画は、狸が勝つ話でも、人間が悪者として罰を受ける話でもありません。多摩ニュータウンの開発の中で、狸たちがどう抵抗し、どう負け、そのあとどう生き延びたかを、そのまま記録するように描いています。

3つの結末のどれかを正解として示さず、全部を並べて見せる。それが「記録」という姿勢だと僕は考えています。

公開時のキャッチコピーは「タヌキだってがんばってるんだよォ」でした。がんばった結果は、負けでした。

結局ハッピーエンドなのか

はっきりしたハッピーエンドではありません。けれど、完全な悲劇とも言い切れない終わり方です。

悲しい側から見れば、狸たちは故郷を失い、多くの仲間が死にました。人間として生きる正吉も、会社勤めの毎日を送っています。最後にゴルフ場で狸に戻って喜ぶ姿は、裏返せば、ふだんは本当の姿を隠して生きている、ということでもあります。

明るい側から見れば、狸たちはしぶとく生き残っています。ゴルフ場のような人間の作った場所にも、ちゃんと狸がいるのです。散り散りになっても、仲間とのつながりは切れていません。

どちらの見方も、映画の中に根拠があります。観た後に明るい気持ちと苦い気持ちが同時に残るのは、読み違えたからではありません。僕は、明るさと苦さの両方を残す終わり方だと受け取っています。

まとめ

  • 最後にぽん吉が言うのは、「開発で姿を消した」と言わないでほしい、という訴え。化けられないウサギやイタチは、自分で姿を消せないのだから
  • 宝船の場面は、太三朗禿狸と狸たちが補陀落渡海のように海へ出た死出の旅。明るく描かれているが、行き着く先は死だった
  • 狸たちの結末は、死出の旅・最後まで戦う・人間として暮らす、の3つに分かれた
  • 高畑勲監督はこの作品を「記録映画だと思っている」と語っている。勝ち負けではなく、負けたあとも生き延びる姿までを描いた
  • ハッピーエンドとも悲劇とも言い切れず、明るさと苦さの両方が残る

高畑勲監督が仲間から「パクさん」と呼ばれていた理由は、高畑勲はなぜパクさんと呼ばれる?名付け親と宮崎駿が語った由来で紹介しています。

参考

  • 平成狸合戦ぽんぽこ 作品紹介(スタジオジブリ。公開日・上映時間・スタッフ) — https://www.ghibli.jp/works/tanuki/
  • 平成狸合戦ぽんぽこ — Wikipedia(あらすじ・登場人物・キャッチコピー) — https://ja.wikipedia.org/wiki/平成狸合戦ぽんぽこ
  • 金ロー『平成狸合戦ぽんぽこ』高畑勲が込めたアニメーション哲学とは?(シネマトゥデイ。「記録映画だと思っている」の出典) — https://www.cinematoday.jp/news/N0107916
  • 補陀落渡海(コトバンク) — https://kotobank.jp/word/補陀落渡海-133117

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