『ハウルの動く城』の舞台として制作側の資料に明記されているのは、コルマールという街の名前ではありません。書かれているのは「フランス・アルザス地方」です。
コルマールはそのアルザス地方にある街のひとつ。取材で訪れた土地の中に含まれていたとしても、「この街を再現した」と公式が言ったわけではありません。
旅行の記事では「ハウルの舞台になった街」として紹介されることが多く、そこで街の名前が定着したようです。実際に何がどこまで参考にされたのかを、公式の資料・制作者の発言・それ以外の説明に分けて整理します。
制作側はどこをモデルだと言っているのか
フランスのアルザス地方です。街の名前ではなく、地方の名前で書かれています。
スタジオジブリと文春文庫が編んだ『ジブリの教科書13 ハウルの動く城』(2016年・文藝春秋)に、参考にした場所としてアルザス地方が明記されています。取材班がこの地方を訪れたことも、同じ本に書かれています。追手門学院大学の奥田浩司教授も、この記述を挙げてアルザス地方が参考になった点を解説しました。
アルザスはフランスとドイツの国境にある地方です。両国のあいだで帰属が何度も入れ替わった歴史があり、フランスとドイツの特色が混ざった街並みが残っています。作画と美術のスタッフはヨーロッパへ取材旅行に出ていて、その主な行き先がここでした。赤みがかった石畳や屋根の色、街並みに落ちる陽だまりは、この取材で見た風景が元になったと紹介されています。
一方、スタジオジブリの公式サイトにある作品紹介のページには、舞台やモデルの場所についての記載はありません。公開日、監督、原作者、声の出演といった基本の情報が並ぶだけです。
スタジオジブリは、取材でアルザス地方のどの街を回ったかを公表していません。コルマールを訪れたかどうかも、制作側からは示されていません。
つまり示されているのは「アルザス地方を参考にした」というところまでです。ここから先の「どの街の、どの建物が」という話は、公式が保証している範囲の外にあります。
コルマールという街の名前はどこから出てきたのか
はっきりした発信元は分かっていません。旅行や観光の記事が、アルザス地方の代表的な街としてコルマールを挙げてきたことが、広まる入り口になったとみられます。
コルマールはアルザス地方でよく知られた観光地で、木組みの家が並ぶ旧市街と、運河沿いの一角が有名です。アルザスらしい風景を写真で見せるなら、この街が選ばれやすいのも当然です。「アルザス地方が参考にされた」という話が「コルマールがモデル」に置き換わるのは、自然な流れでした。
よく一緒に語られるのが、16世紀に建てられた「プフィスタの家」がソフィーの帽子屋のモデルだ、といった説明です。同じ家を、ソフィーが空を歩く場面に出てくる街並みのモデルだとする記事もあります。説明は一つに定まっていません。どれも旅行系のサイトや観光の記事で広まったもので、スタジオジブリや制作者が認めた話ではありません。
似た形の建物があることと、その建物を見て描いたことは別です。アルザスの旧市街には木組みの家が数多く残っています。共通点が見つかるのは当たり前で、それだけではモデルの証拠になりません。同じ通りの別の家を指して「これがモデル」と言っても、同じくらい説得力が出てしまいます。
スタジオジブリが取材先の街を公表していないぶん、どの説明にも公式の裏づけがありません。街の名前だけが先に広まりやすい状態です。
同じことは、他のジブリ作品のモデル探しでも起きています。『千と千尋の神隠し』の油屋と台湾の九份がその代表で、こちらは千と千尋の神隠しのモデルは本当に九份?公式の否定と参考にした場所で整理しました。
街のすべてがアルザスなのか
違います。作中の街は、一つの土地でできていません。
ハウルの城の扉は、回転式のスイッチで別の場所につながります。そのうちのひとつ、王都キングズベリーは、アルザスの小さな街並みとは雰囲気が変わります。作画監督はこの街を「パリのような都会」と述べています(『ジブリの教科書13 ハウルの動く城』)。描かれているのは大きな都市の顔です。
作中の長い階段については、パリのサクレ・クール寺院の階段ではないかという指摘があります(米村みゆき『映像作家 宮崎駿』2023年・早稲田大学出版部)。作中の王宮は架空の建物と受け取られてきたため、この見方はまだ広く共有されてはいません。
ソフィーの暮らす街と、王が住む都では、参考にされた土地からして違います。同じ国の中に田舎町と首都があるのと同じことで、ひとつの街を丸ごと写したのではなく、必要な場所ごとに別の風景が選ばれています。
原作の舞台はどこの国なのか
架空の国です。フランスでもドイツでもありません。
原作はイギリスの作家ダイアナ・ウィン・ジョーンズが1986年に発表した『魔法使いハウルと火の悪魔』。舞台は、魔法が当たり前に使われているインガリーという架空の国です。日本語訳は1997年に西村醇子の訳で出ています。
ハウル本人の出身地はさらに変わっていて、原作では異世界であるイギリスのウェールズから来た人物として描かれます。実在の土地の名前が出てくるのは、むしろイギリス側です。
映画は中盤までおおむね原作に沿いますが、そこから先は原作にない戦争の場面が加わり、別の展開になります。原作者のジョーンズは完成した映画を「とても素晴らしかった」と評価しました。
架空の国が舞台の物語に、実在の風景を絵の材料として使った。これが『ハウルの動く城』の作られ方です。コルマールへ行けばソフィーの街がある、という関係にはなっていません。
「モデル」はどう受け取ればいいのか
実在の街の再現ではなく、材料として取り込まれたもの、と考えるのが実際に近いと僕は見ています。
参考にした場所が公表されていても、そのとおりに描かれているとは限りません。『耳をすませば』では、街のモデルは公に認められている一方、物語の中心になる店には実在の建物がありません。この分け方は耳をすませばの舞台は聖蹟桜ヶ丘、でも地球屋にモデルはないで書きました。
『ハウルの動く城』はさらに離れています。原作の舞台が架空の国で、絵の参考はアルザスとパリに分かれ、城そのものは現実のどこにもありません。
コルマールの街並みを見て「ハウルの世界だ」と感じるのは自然です。制作側がアルザスの風景を取り込んでいるのですから、似ているのは偶然ではありません。ただ、それは「あの街が舞台として描かれた」とは違う話です。
物語そのものが分かりにくいと感じた人は、ハウルが意味わからないのはなぜ?結局どういう話かを順に整理も合わせてどうぞ。
まとめ
- 制作側の資料に書かれているのは「フランス・アルザス地方」で、コルマールという街の名前ではありません
- 取材旅行の主な行き先もアルザス地方で、どの街を回ったかは公表されていません
- 「プフィスタの家がソフィーの帽子屋のモデル」という説明は、旅行や観光の記事から広まったもので、公式は認めていません
- 王都キングズベリーは作画監督が「パリのような都会」と述べており、街ごとに参考にされた土地が違います
- 原作の舞台は魔法の国インガリーという架空の国で、実在の街をそのまま描いた物語ではありません
ハウルの城そのものは、愛知県のジブリパークにある「魔女の谷」で建物として再現されています。入るのに要る券の種類はジブリパークのチケット7種類の違い|プレミアムは必要?で整理しました。
参考
- ハウルの動く城 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/howl/
- 『ハウルの動く城』の聖地巡礼。宮崎駿監督がジブリ作品に描くパリのエッセンス(OTEMON VIEW・奥田浩司・2026年) — https://newsmedia.otemon.ac.jp/3208/
- 『ジブリの教科書13 ハウルの動く城』(スタジオジブリ=文春文庫編・文藝春秋・2016年)
- 『映像作家 宮崎駿』(米村みゆき・早稲田大学出版部・2023年)

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