千と千尋のリンの正体は人間?白狐?資料と作中の描写を比べる

『千と千尋の神隠し』のリンが人間なのか白狐なのかは、映画の中で明かされていません。初期のイメージボードには「白狐」、劇場パンフレットには「人間」と伝えられていて、資料どうしも食い違っています。完成した映画でリンは、動物の姿を見せないまま、千尋の先輩として登場します。

正体を気にする人が多いのは、リンが他の従業員と違って千尋に優しいからです。人間を嫌う湯屋で、なぜ彼女だけ味方になったのか。そこに理由がほしくなります。

この記事では、白狐の書き込みがどの資料にあるのか、劇場パンフレットには何と書かれているのか、作中のどの描写が正体と結びつけて語られるのかを順に見ます。最後に、僕がどう読んでいるかも書きます。

リンの正体は作中で明かされているのか

明かされていません。リンについて映画から確かに分かるのは、立場と人柄です。

リンは湯屋で下働きをしている少女で、外見の年齢は14歳ほど。一人称は「オレ」か「あたい」で、口調は荒っぽく、面倒見のいい姉御肌です。声は玉井夕海さんが演じました。千尋には最初きつく当たりますが、雇われたあとは「油断するなよ、判らないことはオレにきけ」と仕事を教えます。

一方で、自分が何者なのかを語るセリフは一つもありません。湯婆婆のような魔法も見せず、正体を明かす名乗りもない。「人間だから」「狐だから」と説明する場面がないので、ここから先は資料と描写を突き合わせて考えることになります。

「白狐」の書き込みはどの資料にあるのか

出どころは、2001年に徳間書店から出た設定・美術集『ジ・アート・オブ 千と千尋の神隠し』です。宮崎監督のイメージボードやキャラクター設定を集めた本で、リンのイラストの横に「白狐」と書かれていると、まとめサイトの一つが伝えています。Wikipediaは、この記載を同書23ページと注記しています。

同じ本には、作画監督の安藤雅司さんの発言も載っています。リンは最初、イタチかテンが人間に変身したキャラクターにするという話があったこと。顔を長くしたのは宮崎監督だったこと。以上が120ページに記されていると、Wikipediaは注記しています。金曜ロードショーの公式アカウントも、放送に合わせて「イメージボードの段階では『白狐』という表記もされていました」と投稿しました。

ここで大事なのは、書かれているのが制作の初期の段階だという点です。イメージボードには「白狐」、安藤さんの発言にはイタチかテンの案があったとされていますが、どの順で動いたのか、最終的にどう決まったのかは、この資料からは分かりません。白狐は「最初の案の一つ」で、映画の設定と言い切れるものではないのです。

劇場パンフレットには何と書いてあるのか

人間と書かれている、とファンサイトが紹介しています。劇場パンフレットのリンの紹介文は、こう引用されています。

湯屋での千尋の先輩。14歳くらいの少女。不平不満は多いが、根本的な疑問は持たない人間。つっけんどんだが優しい面もある。

ファンサイトのジブリ森などが、この文を引いています。「人間」の二文字が入っているため、公式は人間と書いている、という読み方が生まれました。

ただし、これも決定打にはなりません。パンフレットの紹介文は、観客に向けて書かれた役割の説明です。「根本的な疑問は持たない人間」という言い方は、種族というより、湯屋の暮らしを疑わない人柄を指しているようにも読めます。初期の書き込みも、パンフレットの一文も、それだけで正体を決めるには足りません。

作中の描写は人間とも白狐とも言えるのか

どちらの根拠にもなる場面があります。よく挙がるものを順に見ます。

千尋を見て「人間がいる」と騒ぐ

初めて千尋を見たリンは、人間がいると騒ぎます。ここで釜爺が「わしの孫だ」と嘘をつき、千尋はその場をしのげました。この場面は釜爺の正体を書いた記事で扱っています。

人間を珍しがる様子から、リン自身は人間ではないのでは、と考える人がいます。ただ、この場面で驚いているのは、人間が湯屋にいるという異常事態です。人間かどうかは関係なく、湯屋の暮らしが長い人なら誰でも驚く場面だと読めます。

イモリの黒焼きを欲しがる

リンは、千尋を湯婆婆のところへ連れて行く見返りに、釜爺からイモリの黒焼きをもらいます。狐は小さな生き物を食べるから、というのが白狐説の根拠として挙げられることがあります。

ただ、『ロマンアルバム 千と千尋の神隠し』によれば、イモリの黒焼きは湯屋では貴重な品で、従業員は皆これに目がありません。リンだけの好みではないので、狐と結びつける材料にはなりにくいと言えます。

湯屋の外の町へ出ることを夢見る

リンは、いつか湯屋を出て海の向こうの町に行きたいと話します。絵コンテ全集の13巻では、湯屋の裏を走る電車の行き先の町とされています。

この夢は、雇われている身に納得していないリンの気持ちを表しています。人間だから、狐だからという説明はありません。正体より、いまの暮らしへの不満が前に出ている場面だと、僕は読んでいます。

動物の姿も出てこない

リンが動物の姿に変わる場面は、映画に出てきません。湯屋には、カエル男やナメクジの女衆のように、姿から正体が分かる従業員が大勢います。それでもリンだけは、最初から最後まで背の高い少女のままです。

人間の少女の姿で描かれていても、湯屋は人間とは限らない者たちが働く場所です。だから「人間に見えるから人間」とも言い切れません。湯女という働き手については、油屋は本当に遊郭なのかを検証した記事で触れています。

「リン」という名前はどこから来たのか

宮崎監督は、『千と千尋』の前に別の企画を進めていました。『煙突描きのリン』です。1998年6月から約1年進められましたが、1999年8月に廃案になった企画です。

『千と千尋』は、この企画の影響を部分的に受けています。ジブリのせかいなどのファンサイトは、リンという名前がそこから引き継がれたと紹介しています。ただし、Wikipediaが伝えるとおり、キャラクターもストーリーも完全なオリジナルになりました。名前が同じでも、煙突描きのリンとは別の人物です。

「白狐」の書き込みがあるイメージボードは、リンの姿がまだ決まっていない時期のものです。安藤さんの発言によれば、最終的には普通の、少し背の高い女の子になりました。

結局、リンはどう読めばいいのか

僕は、リンの正体は決まっていない、と読んでいます。決まっていないというより、決めないまま描かれたように見えます。

理由は3つあります。まず、映画の中にリンの正体を裏づけるセリフや場面がないこと。次に、公式の資料でも「白狐」は初期の書き込み、パンフレットの紹介文は「人間」と伝えられていて、方向が食い違っていること。最後に、安藤さんの発言にあるとおり、作画の段階で顔を長くするなど、姿を人間の少女の側へ寄せていったことです。

その普通さが、リンの役目に合っています。名前を取られて心細い千尋に「判らないことはオレにきけ」と言ってくれる先輩です。この役があるから、千尋は湯屋で最初の味方を得られました。

もう少し踏み込むなら、湯屋の外の町を夢見るリンは、湯屋の中でいちばん千尋に近い立場にいます。正体を白狐と決めてしまうと、千尋と同じ目線で悩む先輩という印象が薄れてしまう気がします。

まとめ

  • リンの正体は、映画の中で明かされていません。動物の姿になる場面もありません
  • 「白狐」は、『ジ・アート・オブ 千と千尋の神隠し』に載ったイメージボードの書き込みです。安藤作画監督は、初期案がイタチかテンだったと語っています
  • 劇場パンフレットの紹介文には「人間」とあると紹介されており、初期の書き込みと向きが食い違っています
  • 「人間がいる」と騒ぐ、イモリの黒焼きを欲しがるといった描写は、どちらの説の根拠にもなりますが、決め手にはなりません
  • 名前は、廃案になった企画『煙突描きのリン』とつながっています。ただし別の人物です

正体は分かりませんが、千尋にとってリンが最初の味方だったことは、作中ではっきり描かれています。同じ湯屋の仲間では、ハクも正体をめぐる見方が分かれています。資料と描写の比べ方はハクの正体と本名にまとめました。

参考

  • ジ・アート・オブ 千と千尋の神隠し(徳間書店。2001年8月8日発行) — https://www.tokuma.jp/book/b503466.html
  • 千と千尋の神隠し — Wikipedia(リンの項と『煙突描きのリン』の経緯。各資料のページ番号の注記あり) — https://ja.wikipedia.org/wiki/千と千尋の神隠し
  • 千と千尋の神隠し 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/chihiro/
  • 宮崎駿が構想した幻の作品『煙突描きのリン』(ジブリのせかい。非公式ファンサイト) — https://ghibli.jpn.org/report/rin/

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