『借りぐらしのアリエッティ』がつまらないと言われる一番の理由は、大きな事件が何も起きないからです。空も飛ばず、悪役も倒さず、94分のあいだに起きるのは小人の一家が引っ越すかどうかという話だけ。
同じ感想を持つ人はたくさんいます。質問サイトには、面白くなかったという感想を前提にした質問がいくつも立っています。
つまらない・ひどいと感じる理由は、盛り上がりのなさ、「借りぐらし」への引っかかり、終わり方の曖昧さの3つに分けられます。この記事ではそれを順に整理し、それでも2010年の邦画で興行収入1位になった作品をどう観るかを書きます。
つまらないと感じたのは自分だけなのか
そんなことはありません。ジブリ作品の中でも、この映画は感想が大きく割れるほうです。
ただし、数字の上では成功しています。2010年7月17日に公開され、その年の邦画で興行収入1位。翌年の第34回日本アカデミー賞では最優秀アニメーション作品賞を受賞しました。
売れた作品と、満足度の高い作品は別物です。夏休みのジブリ映画として大勢が足を運び、そのうちのかなりの人が期待とのずれを感じたはずです。
だから「自分の見方がおかしいのか」と気にする必要はありません。求めていたものと、出てきたものが違った。それだけの話です。
盛り上がりがないと言われるのはなぜか
物語の目的が小さいからです。
ジブリ作品の多くは、主人公が世界の大きな問題に巻き込まれます。『天空の城ラピュタ』では城が空に浮かび、『もののけ姫』では森の神が首を落とされる。ところが『借りぐらしのアリエッティ』で起きるのは、床下に住む小人の一家が、人間に見つかったので引っ越すかどうか、それだけです。
敵らしい敵は、家政婦のハルさん一人。戦いも追跡劇もなく、いちばん大きな危機でも「見つかったから家を捨てる」という範囲に収まっています。
もう一つ効いているのが、直前の作品との落差でしょう。2008年の『崖の上のポニョ』は、海が街を飲み込み、絵そのものが暴れる映画でした。その次にこの静けさが来ると、物足りなく感じても無理はありません。
僕は、盛り上がりに失敗したのではなく、最初から盛り上がりを作らない話なのだと読んでいます。
ハルさんは何をしたかったのか
分かりにくさを足しているのが、家政婦のハルさんの動きです。彼女はアリエッティの母を捕まえ、瓶に閉じ込めたうえで業者まで呼びます。
なぜそこまでするのか、映画の中では語られません。小人を売るつもりなのか、屋敷に小人がいることを誰かに証明したいのか。手がかりは最後まで置かれないままでした。
敵役の動機が見えないので、対立が盛り上がる手前で止まってしまう。「ハルさんがひどい」という感想が出るのも、この説明のなさが理由でしょう。追い詰める側の事情が分からないぶん、意地悪にだけ見えてしまいます。
「借りぐらし」は泥棒ではないのか
ここで引っかかる人も多い部分です。角砂糖もティッシュも返さないのだから、借りているのではなく盗んでいるのではないか、と。
言葉としては、その通りです。返すつもりのないものを持ち出しているのだから、借りるという言い方は合っていません。
ただ、小人たちの側から見ると事情が変わります。彼らは数を減らし、身を隠して暮らす側です。人間の家から少しずつ物を分けてもらわなければ、生きる手段がありません。だから気づかれない量だけを持ち出し、気づかれたら家を捨てて去る、という決まりで生きています。
原作は、イギリスの作家メアリー・ノートンが1952年に発表した『床下の小人たち』です。ノートンはこの小人たちを「借りる人たち」と呼びました。英語の原題も、その呼び名から来ています。盗人ではなく借り手だと名乗ること自体が、彼らが自分の暮らしをどう考えているかの表れです。
映画は、この原作を現代の日本に置き換えています。細かい設定をなぞるより、アリエッティと翔の距離だけを残す作りです。
とはいえ、子どもに「これは泥棒じゃないの」と聞かれて答えに詰まるのも分かります。映画はその問いに正面から答えません。もやもやが残ったまま終わるので、ここは弱点だと思います。
終わり方がすっきりしないのはなぜか
答えが出ないまま終わる問いが、2つ残るからです。
1つは、屋敷にやってきた少年・翔の心臓の手術。物語のあいだずっと、翔は手術を控えた身として描かれます。その結果そのものは、最後まで描かれません。
もう1つは、アリエッティたちがどこへ行き着いたのかです。川を下っていく場面で映画は終わり、新しい家に着いたのかどうかは映りません。
物語の途中では、むしろ話が転がり始めます。家を出て、外の世界に出て、ここから何か起きそうだというところで幕が下ります。消化不良だという感想が出るのは、この形のせいでしょう。
僕は、これは失敗ではなく狙いだと読んでいます。この映画は、翔とアリエッティが一週間だけ出会って別れる話です。別れたあとを描いてしまうと、二人の時間が「その後の人生の一場面」に縮みます。答えを出さないことで、あの一週間が閉じずに残ります。
腑に落ちるかどうかは別として、投げ出したわけではない、とは言えます。
それでも高く評価されているのはどこか
絵と音です。
小人の目線から見た家の中の描き方は、この映画でいちばん評価されている部分です。畳の目が丘のように見え、角砂糖が石のように重く、雨だれが爆音になる。10センチほどの体で暮らすとはどういうことかを、説明ではなく画面の大きさで見せています。
音楽も、ジブリでは珍しい人選でした。作曲と主題歌はフランスのセシル・コルベル。ハープと歌が中心の音づくりが、小さな生き物の世界と合っています。
監督の米林宏昌は、この作品が初めての長編監督で、公開当時37歳でした。脚本は丹羽圭子がまとめています。企画を立てた宮﨑駿が、初めて長編を任せる監督に、事件の大きさで押し切らない題材を選んだことになります。
事件を足して分かりやすくする道もあったはずですが、そうしなかった。そのぶん、小人の暮らしの手触りだけが最後まで残ります。
どう観ると腑に落ちるのか
冒険物語だと思って観ないことです。
この映画の中心にあるのは、滅びかけている側の話です。小人は数を減らし、翔は自分の体が長くもたないかもしれないと思っています。その二人が、一週間だけ言葉を交わします。
そう考えると、事件が起きないのは当たり前です。二人にできることは、お互いの存在を知って、別れることだけ。世界を救う話ではなく、消えかけているもの同士が一度だけ出会う話として観ると、静けさが欠点ではなくなります。
同じように「ひどい」と言われがちな作品には、それぞれ別の事情があります。批判の理由と再評価の見方はゲド戦記はなぜひどいと言われる?原作者の言葉と腑に落ちる見方にまとめました。
まとめ
- つまらないと言われる一番の理由は、大きな事件が起きないこと。物語の目的は小人一家が引っ越すかどうかに絞られている
- 「借りぐらし」が盗みに見える点に、映画が正面から答えていない
- 翔の手術とアリエッティたちの行き先が描かれないので、消化不良に感じやすい
- 一方で2010年の邦画で興行収入1位、第34回日本アカデミー賞の最優秀アニメーション作品賞を受賞している
- 小人の目線の絵と、セシル・コルベルの音楽は評価が高い。冒険物語ではなく「消えかけているもの同士の一週間」として観ると腑に落ちる
観直すきっかけを探しているなら、4Kデジタルリマスター版が2026年10月23日から11月2日まで全国のIMAX劇場で上映されます。10月30日から11月12日までは47都道府県の劇場に広がる予定です(2026年8月17日発表。2026年9月時点の情報)。劇場や期間の違いは耳をすませば・借りぐらしのアリエッティのIMAXはいつまで?どこで?で整理しています。
参考
- 借りぐらしのアリエッティ 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/karigurashi/
- 2010年 興行収入10億円以上番組(日本映画製作者連盟) — https://www.eiren.org/toukei/img/eiren_kosyu/data_2010.pdf
- 第34回日本アカデミー賞 最優秀アニメーション作品賞(映画.com) — https://eiga.com/award/japan-academy/2011/
- Mary Norton — Britannica(『床下の小人たち』1952年刊) — https://www.britannica.com/biography/Mary-Norton


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