米林宏昌はなぜジブリを辞めた?制作部門の閉鎖で職場が消えた

米林宏昌監督がスタジオジブリを離れた理由は、本人の退職ではありません。2014年末にジブリの制作部門そのものが閉鎖され、そこで働いていた人たちがまとめて職場を失いました。本人が辞めたというより、働く場所がなくなったのです。

だから「宮崎駿と喧嘩したのでは」「作品が振るわなかったからでは」という見方は、原因と結果が入れ替わっています。先に動いたのは会社のほうでした。

この記事では、制作部門が閉じるまでに何があったのかを日付で追い、根強い不仲説の当否、その後に生まれたスタジオポノック、そして今どうしているかまでを整理します。

米林宏昌の退社理由は何だったのか

監督個人の事情ではありません。ジブリという会社が映画を作る体制をいったんやめると決め、制作部にいた人たちが行き場を失いました。米林監督だけでなく、『思い出のマーニー』のプロデューサーだった西村義明さんも同じ時期に退社しています。

米林監督自身も、2015年3月の取材で「去年の年末に会社を辞めました」と話しています。年末という言い方が、部門の閉鎖と時期をそろえていることを示しています。

なぜそんなことになったのか。ジブリという会社の作りに理由があります。西村さんが2017年にBuzzFeed Japanの取材で説明したところによると、ジブリは高畑勲監督と宮崎駿監督の映画を作るためのスタジオでした。核になる人が「作らない」と言えば、続けようがありません。

制作部門は何が起きて閉じたのか

きっかけは、宮崎監督の引退表明です。2013年9月6日、吉祥寺第一ホテルで記者会見が開かれ、国内外から600名を超える記者が集まりました。長編映画の制作から退く、という内容です。

公式サイトの年表によると、翌2014年は7月に『思い出のマーニー』が公開されました。ジブリ映画として初めて、宮崎駿の名前がクレジットに載らない作品でした。

2014年8月には、鈴木敏夫プロデューサーが制作部門の休止を発表します。8月3日放送のドキュメンタリー番組『情熱大陸』で株主総会の場面が流れ、制作部門を解体して一度立ち止まる、という趣旨の発言が伝えられました。年末、ジブリの制作部門は閉鎖されます。

時期出来事
2013年9月6日宮崎駿監督が長編映画からの引退を表明
2014年7月『思い出のマーニー』公開(米林監督の2作目)
2014年8月鈴木敏夫プロデューサーが制作部門の休止を発表
2014年12月制作部門が閉鎖。米林監督が退社
2015年4月15日西村義明プロデューサーがスタジオポノックを設立

西村プロデューサーは当時の様子を、数か月前まで一緒に制作へ向かっていた仲間が誰もいなくなっていた、と話しています。『思い出のマーニー』の宣伝で全国を回って東京へ戻ったら、スタジオが空になっていた。人が減っていく側から見た光景です。

米林監督は1996年にジブリへ入った生え抜きで、動画から原画へ進みました。2010年の『借りぐらしのアリエッティ』では、公開当時37歳でジブリ作品の最年少監督になっています。

宮崎駿との不仲が理由ではないのか

不仲説は根強くありますが、それを裏づける本人たちの発言は出ていません。

分かりやすいのは、2017年に『メアリと魔女の花』が公開されたときの反応です。米林監督は、宮崎監督から「俺は見ない」と言われたことを明かしました。そのうえで「よく頑張った」とねぎらわれたことも伝えています。

鈴木敏夫プロデューサーの反応も紹介されています。ジブリの呪縛から解き放たれるとこういう映画を作るのか、素直にのびのびと良い映画を作った、という言い方です。高畑勲監督は「好感を持てました」と言い、続けて、自分が好感を持てるとこの映画の成功は危ういのでは、と付け加えたそうです。

「俺は見ない」だけを取り出せば冷たく聞こえます。並べて読むと、辞めた人間を突き放しているというより、それぞれの流儀で反応している、というほうが近いでしょう。少なくとも、退社の理由を不仲に求める根拠にはなりません。

スタジオポノックはどうやって生まれたのか

制作部門が閉じたあと、米林監督には次の企画も、拠り所になる机もありませんでした。スタジオすら存在しない状態で、喫茶店で打ち合わせをしながら脚本を練っていた、と本人が振り返っています。

新しいスタジオを立ち上げたのは、西村プロデューサーのほうでした。2015年4月15日、米林監督の新作を作るための会社としてスタジオポノックが設立されます。社名の「ポノック」はクロアチア語で深夜0時。新しい一日が始まる、という意味を込めた名前だそうです。

米林監督によると、『思い出のマーニー』を作ってしばらくして、西村プロデューサーから次はどうするかと聞かれました。答えは「やります」。その時点で制作部の解散はすでに決まっていて、どんなものになるか分からない状態でしたが、やるかやらないかならやる、という決め方だったそうです。

長編第1作『メアリと魔女の花』の公開は2017年7月8日。米林監督は『思い出のマーニー』を、少女の内面を描いた静かな作品だったと振り返っています。だから新しいスタジオの1作目は、躍動感のある作品にしたかった。考えるよりもまず動く主人公、という方向です。

その後どんな作品を作っているのか

米林監督の長編の監督作は、ジブリ時代の2本とポノックの1本を合わせて3本です。

作品公開制作
借りぐらしのアリエッティ2010年スタジオジブリ
思い出のマーニー2014年スタジオジブリ
メアリと魔女の花2017年スタジオポノック

このほかに、2018年公開の短編『カニーニとカニーノ』の脚本と監督も手がけました。沢ガニの兄弟が主人公の作品で、こちらもポノックの制作です。

『思い出のマーニー』は第88回アカデミー賞の長編アニメ映画賞にノミネートされました。ジブリの制作部門が閉じたあとに評価が届いた形です。

長編3本と短編1本、この4本を通して作品の傾向はよく似ています。小さな主人公が一歩を踏み出す話を選び続けている監督だと、僕は見ています。2026年9月時点で、次の長編の発表はありません。

ジブリに戻る可能性はあるのか

米林監督がジブリに戻るという話は出ていません。2026年9月時点でも、所属はスタジオポノックのままです。

一方で、ジブリ側の状況は2014年で止まったわけではありません。公式サイトの年表によると、2017年5月19日にジブリが新作映画に向けて新人の募集を出し、制作部門の再構築が始まりました。宮崎監督が引退を撤回したためです。理由は「作るに値する題材を見出したから」と説明されています。この題材が『君たちはどう生きるか』につながります。

つまり、制作部門の閉鎖は結果として一時的なものでした。ただし、その間に生まれたものもあります。2人の監督の映画を作るための場所しかなかったところに、米林監督が自分の企画で映画を作れる場所ができました。

『借りぐらしのアリエッティ』は、2026年9月時点の公式告知では10月23日から4Kデジタルリマスター版が劇場で上映されます。詳しい期間は耳をすませば・アリエッティのIMAXはいつまで?にまとめました。

まとめ

  • 米林宏昌監督がジブリを離れたのは、2014年末に制作部門そのものが閉鎖されたためで、本人が辞めたわけではありません
  • きっかけは2013年9月の宮崎駿監督の引退表明。2014年8月に鈴木敏夫プロデューサーが制作部門の休止を発表し、同年12月に閉鎖されました
  • 不仲説を裏づける発言は出ていません。宮崎監督は『メアリと魔女の花』について「俺は見ない」と言いつつ、「よく頑張った」とねぎらったと米林監督が明かしています
  • 2015年4月15日、西村義明プロデューサーがスタジオポノックを設立。2017年に『メアリと魔女の花』を公開しました
  • ジブリの制作部門は2017年5月に再構築が始まり、宮崎監督は引退を撤回しています

『思い出のマーニー』が結局どういう話なのかは、思い出のマーニーは結局どういう話?で整理しました。

参考

  • スタジオジブリの歴史(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/history/
  • スタジオポノック 会社概要(スタジオポノック) — https://www.ponoc.jp/company/
  • ジブリの意志継ぐ「メアリと魔女の花」、宮崎駿らの反応は?米林宏昌監督が明かす(映画.com・2017年6月22日) — https://eiga.com/news/20170622/22/
  • ジブリと宮崎駿の呪い “リストラ”された後継者たちの「その後」(BuzzFeed Japan・2017年2月24日) — https://www.buzzfeed.com/jp/yuikashima/studioponoc-studioghibli
  • 「メアリと魔女の花」米林宏昌監督インタビュー(アニメ!アニメ!・2017年7月7日) — https://animeanime.jp/article/2017/07/07/34551.html

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