魔女の宅急便のジジはなぜ最後まで喋らない?変わったのはキキのほう

ジジが最後まで喋らないのは、ジジが変わったからではありません。変わったのはキキのほうです。喋れなくなった猫の話ではなく、聞こえなくなった女の子の話。ここを取り違えると、あのラストはずっと悲しいままになります。

『魔女の宅急便』のジジは、キキにとってただのペットではありませんでした。制作側も、そういう存在として説明しています。

この記事では、ジジの声が届かなくなるのがどの場面からなのかと、その理由を制作側がどう説明しているのかを整理します。「原作ではまた喋る」「海外版では最後に喋る」という話がどこまで本当なのかも並べました。最後の「ニャー」をどう読むかは、いちばん最後に書きます。

ジジの声が届かなくなるのは、どの場面から?

キキがジジの言葉を聞き取れなくなるのは、映画の後半です。飛べなくなるのと、ほぼ同じタイミングで起きます。

トンボと海へ出かけた日のあと、しばらくしてキキはジジの言葉が分からなくなっていることに気づきます。返ってくるのは、いつもの「ぼく」ではなく「ニャー」という鳴き声だけ。箒にまたがっても体は浮かず、自分の魔法が弱くなっていることが分かります。

順番を整理すると、こうなります。

場面ジジとの会話飛ぶ力
旅立ち〜パン屋で暮らし始めるまで普通に会話できる飛べる
海へ出かけた日のあと鳴き声しか聞こえない飛べない
ウルスラの小屋から戻ったあと鳴き声のまままだ飛べない
トンボを助ける場面鳴き声のまま飛べるようになる
ラスト鳴き声のまま飛べる

大事なのは最後の2行です。飛ぶ力は戻ったのに、ジジの言葉だけは戻りません。 「魔法が弱ったから聞こえなくなった」で片づけると、この一点が説明できなくなります。ラストの違和感の正体は、たいていここにあります。

喋れなくなったのはジジか、聞こえなくなったのはキキか

ここで引っかかる人は多いはずです。言葉を失ったのはジジのほうでしょうか。それとも、聞き取れなくなったのがキキなのでしょうか。

映画を追うと、答えはキキの側に寄ります。ジジの振る舞いは前と変わりません。キキのそばにいて、駆け寄り、肩に乗ります。変わったのは、その鳴き声が言葉として届くかどうかだけです。

もうひとつの手がかりは、ジジの描かれ方です。一人称は「ぼく」で、キキと同じくらいの子どもとして描かれています。旅立ちの夜には「旅立ちはもっと慎重に厳かに行うべきだと思うんだよ」と渋ります。出発をためらう言葉を口にしているのはジジですが、ためらっていたのはキキのほうでした。

つまりジジは、キキが自分では言えない気持ちを代わりに言う役目を担っています。この読み方は、制作側の説明ともきれいにつながります。

鈴木敏夫プロデューサーは「もうひとりの自分」と説明している

ジジの役割について、鈴木敏夫プロデューサーは『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』(文春ジブリ文庫)でこう語っています。

あれはただのペットじゃなくて、もうひとりの自分なんですね。だからジジとの会話っていうのは、自分との対話なんです。

ラストについても、分身がもう要らなくなった場面、コリコの町でちゃんとやっていけるようになった証だと説明しています。

ジジと話せなくなったのは、何かを失ったからではありません。要らなくなったから、という説明です。ひとりで判断できるようになった人は、自分に相談しなくなります。

そう置くと、ラストは何かを取り上げられた場面ではありません。それでも少し寂しく見えるのは、切り替わりが一度きりで、元には戻らないからでしょう。

「魔力が弱まったから」という説はどこまで当たっている?

もうひとつよく語られるのが、キキの魔力が落ちたせいでジジの声が届かなくなった、という説明です。これは半分当たっていて、半分足りません。

当たっているのは、時期です。ジジの声が届かなくなるのと、飛べなくなるのはほぼ同時に起きます。魔法が弱ったこと自体は、キキ本人が口にしています。

足りないのは、その先です。飛ぶ力が戻ってもジジの言葉が戻らない以上、魔力が増えたり減ったりという話だけでは説明がつきません。

ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』(2013年)で、宮崎駿監督はキキの魔法はさらに深くなったのだと話しています。何かを得るなら、失うものもある。単純に弱くなったのではなく、質が変わったという説明です。飛ぶ力は自分の技術として取り戻し、そのかわりに、自分と話す声を手放したことになります。

ジジがリリーと出会ったから、という読み方

ジジ自身が変わったのだ、という見方もあります。根拠にされるのが、白猫のリリーです。

キキがトンボと親しくなっていくのと並行して、ジジも隣家の白猫リリーと距離を縮めます。エンディングでは、ジジとリリーの間に4匹の子猫が生まれています。ふたりとも、それぞれの世界で新しい相手を見つけた——という対応の読み方です。

ただし、リリーとの関係と言葉が通じなくなったことを結びつけた制作側の発言はありません。映画の中の出来事が並んでいるだけで、因果は描かれていません。僕はこの説を、鑑賞後の楽しみ方としては面白いけれど、答えとしては弱いと考えています。

原作の小説では、ジジはまた喋るようになる

「原作ではまた喋る」という話は、よく見かけます。これは本当ですが、中身は映画とかなり違います。

角野栄子さんの原作は、1985年の第1巻から2009年の第6巻まで続くシリーズです。映画がもとにしたのは第1巻ですが、キキが魔法を失う展開も、終盤の飛行船の事故も、映画で加えられました。原作のほうは、13歳の旅立ちから20年以上先まで続きます。

比べる点映画原作小説
描かれる期間13歳の1年ほど13歳から30代半ばまで
話せなくなる時期後半、そのまま終わる第5巻『魔法のとまり木』
通じなくなる理由作中では説明されないジジに恋が始まったから
その後戻らないまた通じるようになる
ジジの相手白猫リリー、子猫は4匹白猫ヌヌ、子猫は18匹

原作でキキとジジの言葉が通じにくくなるのは、19歳のキキを描く第5巻です。角野さん自身の説明では、ジジが変わってしまったわけは恋。キキとは違う情熱的な恋が、ジジのほうに始まっていました。

同じころ、キキの魔法も不安定になります。ただし通じなくなるのは一時的で、その後また話せるようになりました。第6巻でジジは白猫のヌヌと家庭を持ち、18匹の子猫の父親になっています。

「魔女は恋をすると黒猫と話せなくなる」という説明も、よく見かけます。恋がきっかけになる点は原作でも同じですが、恋をするのはキキではなくジジのほうです。映画のラストは、原作の設定をそのまま持ってきたものではありません。

角野さん自身は、映画を観て「あれ?」と思う場所はあったものの、あれは宮崎さんの作品だから、とすぐ切り替えたと語っています。原作と映画で答えが違うのは、そもそも別の作品として作られたからです。

「海外版では最後にジジが喋る」のは本当?

英語版では最後にジジが喋る、という話も広く知られています。これも本当ですが、いま観られる版とは限りません。

ディズニーが制作し、1998年に発売された英語吹替版では、ジジ役をフィル・ハートマンが演じました。この版には、日本語版にないアドリブの台詞が多く足されています。ラストにも、キキが再びジジの言葉を理解できたと受け取れる台詞が入っていました。

ところが2010年、ディズニーは日本語版との違いをなくす方向で英語吹替版を編集し直します。追加されていた音楽やアドリブは削られ、ジジの最後の台詞も、日本語版と同じ鳴き声に戻されました。

つまり「海外版では喋る」は、古いほうの吹替の話です。2010年に編集し直された版なら、ジジは最後まで喋りません。ただし配信サービスによっては、地域ごとに古い吹替が使われている場合もあるとされています。同じ映画の話で結論が食い違うのは、そのためです。

最後の「ニャー」は、何と言っている?

ラストの場面です。時計塔の事故からトンボを助けたキキのもとに、ジジが駆け寄って肩に飛び乗り、「ニャー」と鳴きます。キキは、そのまま頬を寄せます。

この鳴き声が何を言っているのかは、映画の中では説明されません。公式の説明もありません。よくある読み方は3つです。

  • 「よかった」「おめでとう」という祝福
  • 「キキはすごいんだよ」という自慢
  • 言葉ではなく、そばにいるという合図

僕は3つめだと考えています。この場面で効いているのは、言葉が通じないままキキがジジを受け入れていることです。声が届かないと気づいた日のキキは、うろたえていました。ここでは、通じないことを抱えたまま受けとめます。

キキがジジを失ったわけではない、というのが、あの「ニャー」の一番の意味だと思います。喋る相棒は消えましたが、猫のジジは隣にいる。終盤の手紙でキキは「落ち込むこともあるけれど、私、この町が好きです」と書きます。そう書ける人には、もう自分との通訳は要りません。

まとめ

ジジが最後まで喋らない理由を、もう一度整理します。

  • 制作側は、ジジを「もうひとりの自分」と呼び、ラストは分身がもう要らなくなった場面だと説明している
  • 飛ぶ力は戻ったのにジジの言葉が戻らないので、「魔力が弱まったから」だけでは説明がつかない
  • 変わったのはジジではなくキキのほう。ジジは振る舞いを変えず、そばにいる
  • 原作の小説では、第5巻でジジに恋が始まって一時的に通じなくなるだけ。その後また話せるようになる
  • 1998年発売のディズニー英語版にはラストにジジの台詞が足されていたが、2010年の編集で日本語版と同じ鳴き声に戻された

答えが出ないままなのは、最後の「ニャー」の中身だけです。そこは観た人それぞれが決めていい場所だと思います。

同じ「ラストの意味」を扱った記事として、もののけ姫のラストの意味|シシ神はなぜ死ぬ?痣と結末を解説も書いています。ジブリ作品の劇場でのIMAX上映がどう決まるのかは、耳をすませば・借りぐらしのアリエッティのIMAXはいつまで?どこで?にまとめました。

参考

  • 『ジブリの教科書5 魔女の宅急便』(文春ジブリ文庫、文藝春秋、2013年)
  • ドキュメンタリー映画『夢と狂気の王国』(2013年) — 宮崎駿の発言
  • 魔女の宅急便(角野栄子公式サイト『魔女の宅急便』全6巻の紹介) — https://kiki-jiji.com/book/book-majo
  • 角野栄子インタビュー(映画版への受けとめ) — オリコンニュース(2024年1月24日) — https://www.oricon.co.jp/special/66472/
  • Kiki’s Delivery Service — Wikipedia(英語版) — https://en.wikipedia.org/wiki/Kiki’s_Delivery_Service

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