風立ちぬは何が言いたい?意味不明に感じる理由を企画書から読む

『風立ちぬ』は、美しいものに憧れた人の一生を、良いとも悪いとも言わないまま見せる映画です。意味不明に感じるのは、その判定を最後まで下さないからです。

戦闘機を設計する話と、結核の女性との恋の話が、交わらないまま並びます。二郎は自分の作った機体がどう使われるかを知っていて、それでも作るのをやめません。映画はそれを責めも褒めもせずに終わります。

宮崎駿監督は企画書に「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない」と書きました。この一文が、話のつながらなさの正体です。

なぜつながらなく見えるのか、監督は何が言いたい話にしたかったのか、菜穂子が山へ帰った理由と最後の「生きて」まで、順に整理します。

意味不明だと感じるのは自分だけなのか

同じところで止まった人は多く、公開当時から受け取り方が分かれてきました。

数字の上では、たくさんの人が観た映画です。2013年7月20日に公開され、興行収入120.2億円、観客動員969万人。その年の日本で最大のヒット作になりました。ニューヨーク映画批評家協会賞の最優秀アニメーション賞も受けています。

それだけ観られて、それでも「結局何が言いたかったのか」が残る。理由は、ジブリの他の作品と話の進み方が違うところにあります。

トトロにもラピュタにも、乗り越える相手か、解くべき謎がありました。『風立ちぬ』にはどちらもありません。倒すべき敵も、事件の解決も、はっきりした成長の到達点も出てきません。飛行機を作る男の日々が続いて、そのまま終わります。

なぜ話がつながらないように見えるのか

引っかかる場所は、だいたい次の3つに分かれます。

飛行機の仕事と恋愛が、ただ並んでいるように見える

二郎の設計の仕事と、菜穂子との結婚生活は、ほとんど交わりません。片方が片方を変えることもありません。

象徴的なのが、菜穂子が隣で寝ている横で、二郎が計算尺を握って図面を引き続ける場面です。普通の映画なら、ここで仕事と家庭がぶつかります。この映画はぶつけません。二郎はどちらも手放さないまま、最後まで進みます。

そのため、恋愛のパートを削っても飛行機の話は成り立つように見えてしまいます。「なぜこの2つが1本の映画に入っているのか」が、最初の引っかかりです。

戦争の善し悪しを一度も言わない

二郎が設計するのは、のちに戦争で使われる機体です。作中には、この国が貧しく、それでも軍用機を作ろうとしている状況が何度も出てきます。

それでも映画は、二郎を戦争加担者として裁きません。逆に「本当は民間機を作りたかった」と弁護もしていません。公開時に公表された企画書に、この点がはっきり書かれています。

この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。

裁きも称賛もありません。観終わったあとに立ち位置が決まらないのは、映画がそれを決めていないからです。

夢の場面と現実の場面の境目がない

二郎はイタリアの設計者カプローニと、夢の中で何度も会います。どこからが夢なのかは、はっきり示されないまま進みます。草原が広がり、機体が浮かび、話が終わると現実に戻っている。

現実の描写のほうも、地震や火災や病がいきなり差し込まれます。時間の飛び方も大きい。どこまでが二郎の頭の中なのかを追いかけようとすると、足場がなくなります。

宮崎駿監督は何が言いたかったのか

自分の夢にまっすぐ進んだ人と、その代償です。

企画書の続きに、答えがそのまま書かれています。

自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない。

企画書はこのあと、美しすぎるものへの憧れは人生の罠でもある、と続けています。

美しい飛行機を作りたいという願いは、それ自体は誰も傷つけません。ただ、その願いを本気で追い続けると、行き着く先は自分で選べなくなります。二郎の機体は戦争へ運ばれ、帰ってきません。菜穂子の時間も、その傍らで消えていきます。

「毒もかくしてはならない」というのは、そこを見せないまま美談にはしない、という宣言です。だから映画は、二郎を英雄にも罪人にもしませんでした。

企画書にはもう一つ、この映画の柱が書かれています。零戦の設計者である堀越二郎と、イタリアの先輩カプローニの、時空をこえた友情。そして、何度も挫折しながら少年の日の夢に力を尽くす2人の姿です。夢の場面が何度も出てくるのは、そちらが本筋だからです。

物語のもとになった人も2人います。実在の航空技術者・堀越二郎と、小説家の堀辰雄。ポスターには「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」と記されました。設計者の半生に、小説の恋の話を重ねたのがこの映画です。仕事と恋愛が噛み合わないのは、もともと別々の人から持ってきた素材だからでもあります。

企画書から監督の狙いを読む話は、千と千尋の神隠しは結局何を伝えたい話?企画書にある3つのねらいでも書いています。

「風立ちぬ」というタイトルは何を指しているのか

風が立った、という意味です。ただし言葉の出どころは、映画より90年以上前にさかのぼります。

出発点はフランスの詩人ポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節、「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」。おおよそ「風が立つ、生きようと試みなければならない」という意味です。堀辰雄はこれを「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳し、自分の小説の題にしました。宮崎監督は、その小説から題を借りています。

「いざ生きめやも」をどう読むかは分かれます。生きなければ、と取ることも、生きられるだろうか、と取ることもできる。どちらにしても、タイトルの裏側には生きることについての問いが最初から付いています。

映画のキャッチコピーは「生きねば。」でした。この言葉は、宮崎監督が『風の谷のナウシカ』の原作漫画の最終巻で使ったものから取られています。

同じジブリの短いコピーでは、『もののけ姫』の「生きろ。」が知られています。そちらの成り立ちはもののけ姫「生きろ」の意味は?糸井重里のコピーとアシタカのセリフで扱いました。

菜穂子はなぜ山へ帰ったのか

きれいな姿だけを二郎に見せて終わりたかったからです。

菜穂子は結核で、高原のサナトリウムで療養していました。そこを抜け出して二郎のもとへ来て、結婚し、短い時間を一緒に過ごします。病状が進んだあと、彼女は置き手紙を残して山へ戻りました。

追いかけようとする二郎の妹・加代を止めたのが、下宿先の黒川夫人です。夫人は、菜穂子が美しいところだけを好きな人に見てもらったのだと、加代に伝えます。

このセリフが、菜穂子の行動の答えになっています。病人として扱われながら看取られる時間を、彼女は選びませんでした。自分がどう記憶されるかを、自分で決めたわけです。

作中で、菜穂子の死は直接描かれません。ただ、終盤の夢の場面に彼女が現れることで、二郎のもとへは戻らなかったことが示されます。亡くなったと受け取るのが自然な作りです。説明されないまま分かってしまう。ここも「意味不明」と言われる場所の一つです。

最後の「生きて」は何が変わったのか

終盤、二郎は草原で再びカプローニと会います。そこへ菜穂子が現れ、二郎に言葉をかけて去ります。作中で彼女が最後に姿を見せる場面です。

このとき二郎に向かって菜穂子が言うのが「生きて」です。

このセリフは、絵コンテの段階では「来て」でした。最終的に1文字が足されて「生きて」になっています。二郎の声を担当した庵野秀明は、セリフが台本とは180度変わって本当に良かった、とコメントしました。

「来て」なら、自分のところへ来てほしいという呼びかけになります。二郎の残りの人生は、菜穂子のもとへ向かう時間になる、という読み方です。「生きて」に変わると、向きが逆になります。彼女は二郎をこちら側へ呼ばず、生き続けるほうへ押し出しました。

タイトルの元になった「風立ちぬ、いざ生きめやも」、キャッチコピーの「生きねば。」、そしてこの「生きて」。1文字の追加で、3つが同じ方向を向きました。

こう観ると腑に落ちる

『風立ちぬ』は、答え合わせのある映画ではありません。二郎が正しかったかどうかを観客に判断させる作りにもなっていません。それでも、次の見方をすると迷子になりにくくなります。

一つは、これを「仕事の映画」として観ることです。好きなものを作り続けた人が、その代わりに何を失ったか。飛行機を絵やアニメに置き換えても、話はほとんどそのまま通じます。

もう一つは、夢の場面を回想ではなく本編として観ることです。カプローニとの草原が二郎の本当の居場所で、地震も結婚も戦争もその合間に起きたこと。そう読むと、現実の出来事が飛び飛びなのは自然な作りになります。

僕は、この映画がすっきりしないのは、監督が自分をかばわなかったからだと考えています。美しいものを作り続けた人が、その代わりに何を巻き添えにしたか。それを美談にせずに置いたので、観る側にも飲み込むものが残ります。

ジブリ作品が自分に合わないと感じたときの整理は、ジブリの良さがわからないのは自分だけ?合わない理由と楽になる見方にまとめました。

まとめ

  • 『風立ちぬ』が意味不明に感じるのは、戦争の善し悪しも二郎の正しさも判定しないまま終わるからです
  • 宮崎駿監督は企画書に「夢は狂気をはらむ、その毒もかくしてはならない」と書き、糾弾も称賛もしないと明言しています
  • タイトルは堀辰雄の小説から。その元はヴァレリーの詩の一節で、堀辰雄は「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳しました
  • 菜穂子が山へ帰ったのは、美しいところだけを好きな人に見てもらうためです。黒川夫人のセリフがそれを言っています
  • 最後の「生きて」は、絵コンテでは「来て」でした。1文字足されたことで、菜穂子は二郎を生きるほうへ押し出す側に変わりました

参考

  • 風立ちぬ 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/kazetachinu/
  • 風立ちぬ(2013年の映画) — Wikipedia(企画書の内容、タイトルの由来、絵コンテの「来て」から「生きて」への変更、興行成績) — https://ja.wikipedia.org/wiki/風立ちぬ_(2013年の映画)
  • 『風立ちぬ』を深く読み解く「10」のこと!(CINEMAS+。宮崎駿の企画書の引用) — https://cinema.ne.jp/article/detail/43500
  • ジブリ新作、『風立ちぬ』コピーは「生きねば。」(シネマトゥデイ。コピーの由来) — https://www.cinematoday.jp/news/N0052465

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