『となりのトトロ』のお母さんの病名は、映画の中では一度も出てきません。ただし小説版には結核と書かれていて、入院先の七国山病院のモデルも結核の療養所です。結核と読むのが、いちばん自然な答えになります。
観終わったあとに「結局、お母さんは何の病気だったの?」と引っかかる人は多いはずです。物語の中心にいる人なのに、病名はもちろん、いつ帰ってくるのかもはっきり語られません。
この記事では、映画の中で何が語られていて何が語られていないのかを先に分け、そのうえで結核と読める根拠を順に並べます。「風邪くらいで、どうして電報が来るのか」という場面の疑問と、お母さんがその後どうなったのかも書きました。
お母さんの病名は、映画の中で語られている?
語られていません。お母さんが「七国山病院」に入院していることは分かりますが、病名を口にする人はいません。
映画の中で分かるのは、次のことだけです。
- お母さんは七国山病院に入院していて、家族は病院の近くの田舎へ引っ越してきた
- お父さんとサツキとメイが、自転車でお見舞いに行っている
- 週末に一時退院して家に帰る予定だったが、風邪をこじらせて延びた
- 最後にはお母さんの姿が病室の窓辺にあり、エンドロールでは家に帰っている
つまり「長く入院していて、風邪ひとつで一時退院が延びるような病気」までは映画が教えてくれます。空白なのは病名だけで、この空白があるから、いまも同じ質問が繰り返されています。
なぜ結核と言えるのか?根拠は3つ
結核と考える手がかりは、映画の外に3つ。強いものから順に並べました。
小説版には「結核」と書かれている
いちばん直接的な根拠は、映画と同じ1988年に出た小説版『となりのトトロ』(久保つぎこ著、徳間書店)です。ここではお母さんの病気が結核だと記されていて、七国山病院も結核の療養所として書かれています。
映画本編の設定とまったく同じとは言えませんが、公開当時に作品の側から出た文章です。
公開当時の資料では「胸を病んで入院1年」
公開当時に出た『ロマンアルバム・エクストラ となりのトトロ』などの資料には、物語が始まった時点でお母さんの入院はすでに1年におよぶ、とあります。病名ではなく、胸を病んでいる、という書き方でした。
1年も入院が続く胸の病気。映画の時代設定と合わせると、結核がもっとも当てはまります。作品の時代については、宮崎駿監督が『コクリコ坂から』のパンフレットに寄せた「企画のための覚書」で、1953年を想定して作ったと書いています。
当時の結核は、静かな場所で長く療養する病気でした。1943年に発見された治療薬のストレプトマイシンが日本で作られ始めたのは1950年で、ようやく「治る病気」に変わり始めた時期です。長い入院と、退院の見通しが立ってきたという映画の状況は、この時期の結核の患者の姿と重なります。
七国山病院のモデルは結核の療養所
七国山は実在しない山で、モデルは東京都東村山市の八国山とされています。その近くにあった結核の療養所「保生園」が、七国山病院のモデルです。保生園はいまは名前を変え、新山手病院として続いています。
サツキとメイが引っ越してきた家にも、それらしい設定があります。2001年に出た『ジブリ・ロマンアルバム となりのトトロ』の宮崎監督のインタビューでは、病人を療養させるために建てた離れのある家だと語られています。お母さんが退院したあと、空気のよい場所で静かに過ごすための家です。
| 根拠 | 出どころ | 何が分かるか |
|---|---|---|
| 小説版の記述 | 小説『となりのトトロ』(1988年) | 病名を結核と明記 |
| 入院1年の設定 | 『ロマンアルバム・エクストラ となりのトトロ』 | 長い療養が必要な胸の病気 |
| 病院のモデル | 東村山市の結核療養所「保生園」 | 舞台のモデルが結核の療養所 |
3つを重ねると、答えは結核に寄ります。「公式設定は結核」と言い切るより、「映画は語っていないが、結核として作られている」と言うのが正確な言い方でしょう。
風邪をひいただけで、なぜ電報が来るの?
答えは2つあります。家に電話がない時代だったことと、結核の患者にとって風邪は軽くないことです。
場面はこうでした。土曜日の一時退院を楽しみにしていたところに、病院から電報が届きます。サツキは慌ててカンタの家へ電話を借りに走り、お父さんの職場につないでもらうことに。
電話で分かるのは、お母さんが風邪をこじらせたので一時退院が延びる、というだけです。それなのに、メイは「やだ」と言い張り、サツキはそのあとおばあちゃんの前で泣き崩れます。観ている側からすると「たかが風邪で、なぜそこまで」と思う場面でしょう。
電報なのは、家に電話がないから
サツキがわざわざ隣の家に走るのは、草壁家に電話がないからです。1950年代の農村では、電話のある家は限られていました。急ぎの連絡は電報で送り、返事が要るときは電話のある家に借りに行くのが普通です。
病院から見れば「一時退院が延びた」は急いで伝えるべき連絡です。だから電報になります。特別に重い知らせだから電報なのではなく、当時はそれが急ぎの連絡の手段でした。
ちなみに、この電報の消印には昭和32年8月11日と書かれています。監督が想定した1953年とは少しずれますが、いずれにしてもテレビも電話も家にない時代の話です。
結核の患者にとって、風邪は軽くない
もうひとつは病気の側の事情です。結核で1年入院している人にとって、風邪は「ただの風邪」では済みません。体力が落ちて、病気そのものが悪くなるきっかけになります。
サツキが泣くのは、病気の重さを分かっているからだと読めます。おばあちゃんに「お母さんが死んじゃったらどうしよう」と漏らす場面が、その裏づけです。メイには病気の重さが分からないぶん、「帰ってこない」という事実だけが目の前にあり、受け入れられません。姉と妹の反応の差が、そのままお母さんの病気の重さを映しています。
お母さんはその後どうなった?
回復して、家に帰ります。ここは映画が答えてくれています。
終盤、トトロと猫バスに助けられたサツキとメイは、病院の窓辺にいるお母さんとお父さんの姿を木の上から見つけます。お母さんは笑っていて、退院が遠くないことが伝わります。
そしてエンドロールです。お母さんが家に帰ってきて、サツキとメイと一緒にお風呂に入り、寝る前に本を読み聞かせる絵が続きます。映画の本編では帰宅の場面がないので見落としやすいのですが、エンドロールまで観れば、お母さんが帰ってきたことははっきり分かります。
「サツキとメイは死んでいて、お母さんに会えないままだった」という都市伝説もありますが、ジブリの広報部が2007年に否定しています。否定の言葉と、その説の根拠とされる場面をひとつずつ確かめた記事は、トトロの都市伝説は本当?サツキとメイ死亡説を公式と描写で検証にまとめました。
お母さんの病気は、宮崎駿監督の母がモデル?
監督自身は、母をモデルにしたとは語っていません。研究者の指摘として語られている話です。
宮崎駿監督の母は、1947年に脊椎カリエスという病気になり、その後9年ほど寝たきりの生活を送りました。脊椎カリエスは結核菌が背骨に入る病気で、結核の仲間です。監督が小学生のころから中学を出るころまで、母親は家で療養していたことになります。
アメリカの日本文化研究者スーザン・ネイピアは、著書『ミヤザキワールド』で、この母の不在が『となりのトトロ』の母親の入院という設定につながったと指摘しています。長く病気の母がいて、子どもがその不在を抱えて育つ。監督の子ども時代と映画の設定は、たしかによく重なります。
ただし、映画のお母さんと監督の母がどこまで同じかは、監督自身が語っていない以上、断定できません。病名がなくても、サツキの我慢とメイの不安は伝わります。監督が描きたかったのは病気そのものより「お母さんがいない家で子どもがどう過ごすか」のほうで、だから病名を伏せたままにしたのだと僕は読んでいます。
まとめ
- 『となりのトトロ』のお母さんの病名は、映画の中では語られていない
- 小説版には結核と書かれ、公開当時の資料では胸を病んで入院1年。病院のモデルも結核の療養所で、結核と読むのが自然
- 風邪で電報が来るのは、家に電話がない時代だから。一時退院が延びただけでも、結核の患者にとって風邪は悪化のきっかけなので、サツキは泣いた
- お母さんは回復し、エンドロールで家に帰っている
- 宮崎駿監督の母も結核の仲間の病気で9年療養しており、研究者はその影響を指摘している
サツキとメイの家は、ジブリパークの「どんどこ森」に再現されています。ジブリパークに行くなら、どの券でどこに入れるかをジブリパークのチケット7種類の違い|プレミアムは必要?で先に確かめておくと迷いません。
参考
- 小説『となりのトトロ』(久保つぎこ著、徳間書店、1988年)
- 『ロマンアルバム・エクストラ となりのトトロ』(徳間書店、1988年)
- 『コクリコ坂から』パンフレット「企画のための覚書」(宮崎駿、2011年)
- 『ミヤザキワールド 宮崎駿の闇と光』(スーザン・ネイピア著、早川書房、2019年)
- 新山手病院 理念・沿革(保生園から新山手病院へ) — 新山手病院 — https://shinyamanote.jp/about/philosophy/

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