エボシ御前は悪役なのか?海外に売られた過去と守った人たち

エボシ御前は、悪役として描かれていません。森を焼き、神を撃った側にいながら、同時に、どこにも行き場のなかった人たちを引き受けた人でもあります。

分かりにくいのは、この2つが同じ人物の中に矛盾なく収まっている点でしょう。悪人だから森を壊したのでも、善人だから弱者を助けたのでもありません。

この記事では、公式に年齢の設定があるのかどうか、宮崎駿監督が対談で語った過去、タタラ場で誰を引き受けていたのか、それでも彼女がしたこと、そして右腕を失ったあとの最後までを順に見ます。

エボシ御前は悪役じゃないのか

作品は、エボシを突き放して描いていません。タタラ場の人たちは彼女を慕っています。病者の長はアシタカに、「わしらを人としてあつかってくださったたったひとりの人だ」と伝えます。

もちろん、敵として彼女を憎む側もいます。山犬のモロは、「あいつの頭をかみくだく瞬間を夢見ながら」待っていると言い放ちます。

一方で、アシタカの腕に呪いをかけたタタリ神は、もとはエボシの放った石火矢の弾を体に受けた猪神でした。彼女は森を焼き、シシ神の首を狙い、その結果として山を壊します。

つまり、エボシは救う人であり、壊す人でもあります。どちらか片方を切り取れば、聖人にも悪役にも見えます。両方を同時に描いたところが、この人物の作りです。

彼女が悪役じゃないと言われる理由は、大きく3つあります。

  • 売られた人たちを買い戻し、仕事を与えている
  • 社会から追い出された病者を受け入れている
  • 自分が何をしているか分かったうえで神殺しを選んでいる

3つ目は美点ではありません。それでも、隠れて悪事を働く悪役とは別物だという意味で効いています。

エボシ御前の年齢は何歳という設定なのか

公式の資料に年齢は書かれていません。スタジオジブリの作品紹介には、公開日や上映時間、声の出演者の名前が並ぶだけです。

そのため、ネット上で見かける「20代後半」「30代前半」といった数字は、どれも見た目や立場からの推定にすぎません。公式に決まった年齢はない、というのが答えになります。

エボシ御前の過去に何があったのか

海外に売られ、倭寇(海賊)の頭目の妻になり、腕を磨いた末に夫を殺して財宝を奪い、戻ってきた女性。宮崎駿監督は、歴史学者の網野善彦さんとの対談でエボシをそう語っています。

この対談「『もののけ姫』と中世の魅力」は、監督の文章集『折り返し点 1997〜2008』(岩波書店・2008年)に収められています。

この一文が効いてくるのは、タタラ場の顔ぶれを見たときです。エボシが買い取って働かせているのは、身売りされた女性たち。かつて売られたのはエボシ自身でもありました。彼女が買い戻しているのは、自分と同じところから来た人です。

石火矢という当時としては新しい武器を持っていることも、この過去と結びつけて語られます。ただし作中のエボシは、「明国のものはおもくて使いにくい」「この者たちが考案した新しい石火矢だ」と言います。海の向こうの技術をそのまま使うのではなく、タタラ場で作り替えた新型です。

なお、ここまでは映画の中では一度も説明されません。作中のエボシは、過去を語らないまま、ただタタラ場の主として現れます。

タタラ場で誰を引き受けていたのか

タタラ場には、包帯を巻いた「病者」と呼ばれる人たちがいます。エボシは彼らの体を拭き、包帯を替え、石火矢を作る仕事を任せています。

この人たちが誰なのかを、宮崎監督は2016年1月28日の講演ではっきり語りました。

実際にハンセン病らしき人を描きました

きっかけは、中世の絵巻『一遍上人絵伝』でした。さまざまな職の人に混じって、ハンセン病と思われる人たちの姿が描かれていたそうです。監督は同じ講演で、主人公アシタカの痣とハンセン病は同じだと述べ、そういう主人公を作る以上この病を描かないわけにはいかないと思った、と説明しています。

無難に済ませず、当時「業病」と呼ばれた病を抱えながらちゃんと生きた人を描かなければいけない。監督の言葉はそう続きます。

ここまで来ると、タタラ場の見え方が変わります。売られた女性と、行き場を失った病者。当時の社会からはじき出された人だけが、あの塀の中で働いています。エボシが強い言葉で人を引っぱるのは、そこが最後の場所だからだ、と僕は読んでいます。

アシタカとサンをどう見ていたのか

エボシは、アシタカを客として迎えます。礼を言って休ませ、周囲が間者ではないかと疑っても、「そなたを疑う者がいるのだ」と本人に打ち明けます。隠し立てをしません。

タタリ神の話を持ち出されたときも悪びれません。「あのつぶて、たしかにわたしのはなったもの」と認めたうえで、「呪うならわたしを呪えばいい」と返します。

サンに対しては、もっとはっきりしています。山犬に育てられた娘を「もののけ姫」と呼び、森に光が入り山犬が鎮まればもののけ姫も人間に戻る、と言います。サンという一人の人間ではなく、森という問題の一部として数えた言い方です。

タタラ場の中では細かく人の名前を呼び、体を拭き、話を聞きます。それなのに、塀の外の相手にはこの態度を取る。守る範囲をはっきり線で区切っているのが、エボシという人だと僕は見ています。線の内側にいるか外側にいるかで、同じ人物が救い手にも敵にもなります。

エボシは結局、何を壊したのか

擁護だけで終わらせると、この人物は半分しか見えません。

エボシは山を削り、そこに住む神々と戦い、最後にはシシ神の首を撃ち落とします。首を狙ったのは、不死を求める天朝の命を受けたジコ坊たちと組んだからでした。

首を落とす直前、彼女は集まった人たちに向かってこう言い放ちます。

皆よく見とどけよ! 神殺しがいかなるものなのか

自分が何をしているかを、彼女は正確に分かっています。知らずに壊したのではありません。人が生きる場所を広げるために、神を殺すと決めた人です。

結果として起きたのは、デイダラボッチの暴走と山の壊滅でした。タタラ場も流されます。守ろうとした人たちの居場所を、彼女自身の選択が壊した形です。

最後にエボシはどうなったのか

シシ神の首を落とした直後、エボシは山犬のモロに右腕を食いちぎられます。このときモロの体はすでに失われていて、切り離された首だけが動いて噛みついたのです。

それでも彼女は死にません。山犬の背に乗せられて運ばれ、片腕を失ったまま生き延びる。本人も「わたしが山犬の背で運ばれ生きのこってしまった」と言います。そして、流されたタタラ場を前にしてこう続けます。

みんな、はじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう

罰を受けて退場するのでも、改心して善人になるのでもありません。腕を1本失ったうえで、同じ人たちと同じ場所をもう一度作り直す。そういう終わり方です。

作中で明かされていないこと

エボシについて、映画が答えを出していない部分もあります。

本名も出身も年齢も、作中では一度も語られません。「エボシ御前」は、かぶり物からついた呼び名です。売られた過去も、宮崎監督が対談で語っただけで、映画の中には手がかりがありません。

実在の誰かがモデルなのかについても、公式の説明はありません。ファンのあいだでは、鬼女の伝説に出てくる立烏帽子が元ではないかという読みが語られていますが、スタジオジブリがそう認めた文章は出ていません。

タタラ場を作り直したあとのエボシがどうなったかも描かれません。片腕で、神を殺した記憶を抱えたまま村を率いる。その先は観客に預けられています。

シシ神の死が何だったのかは、もののけ姫のラストの意味で整理しました。

まとめ

  • エボシ御前は悪役としては描かれていません。森を焼き神を殺す側にいながら、居場所のない人たちを引き受けた人でもあります
  • 年齢の公式設定はありません。よく見る「20代後半〜30代前半」は見た目からの推定です
  • 宮崎駿監督は網野善彦さんとの対談(『折り返し点 1997〜2008』所収)で、エボシを「海外に売られ、倭寇の頭目の妻となり、夫を殺して戻ってきた女性」として語っています
  • タタラ場の「病者」について、監督は2016年1月の講演で、ハンセン病らしき人を描いたとはっきり述べています
  • 最後は右腕を失い、それでも「ここをいい村にしよう」と言ってタタラ場をやり直します

アシタカに向けられた「生きろ」という言葉の意味は、もののけ姫「生きろ」の意味にまとめました。

参考

  • もののけ姫 作品紹介(スタジオジブリ) — https://www.ghibli.jp/works/mononoke/
  • 宮崎駿『折り返し点 1997〜2008』(岩波書店・2008年)。網野善彦との対談「『もののけ姫』と中世の魅力」を収録 — https://www.iwanami.co.jp/book/b264078.html
  • 宮崎駿が語る『もののけ姫』エボシ御前の設定(ジブリのせかい) — https://ghibli.jpn.org/report/eboshi/
  • イベントレポート「全生園で出会ったこと」(THINK NOW ハンセン病キャンペーン 2016) — https://leprosy.jp/thinknow2016/special/

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